hatred と anger 〜憎悪は怒りとは違う〜

「怒り」を感じないようになりたいと言う方は少なくない。
しかし、それはもったいないことだ。

感情に良いも悪いもない
すべての感情は大切なことをあなたに教えてくれているんだ。
それに、怒りの感情を封印することはできないし、怒りの取り扱い方を知らなければ振り回される恐れはあるが、「怒り」は大きなエネルギーであり、取り扱い方さえ学べばあなたにとっての大きな力になる

4nessコーピングのマスター講座2回目では「怒り」を取り扱う。
今回の受講生は、マスター2回目の「怒り」のワークを終え、講座後のアンケートに以下のように書いてくれていた。

ワークをしているうちに、彼に対しての感情は、怒りというより嫌悪と感じてきました。生理的嫌悪感が次第にとても強くなっていて、外見も、声も、動作も、不快です。

「怒り」と「憎悪」は違う

考えてみて欲しい。もう二度と関わらない人への「怒り」をずっと持ち続けることがあるだろうか。例えば出張先でたまたま入ったコンビニの店員さんの態度が悪かったとしよう。イラッとはするが、それをずっと持ち続けることはない。すぐにどうでもよく思うだろう。
しかし、大切に思っている相手がそういう態度なら話は別だ。大切にしてきた時間や想いがあるのだから、どうでもいいでは済まされない。

つまり、「怒り」の裏には「哀しみ」があるのだ。

こんなに頑張っているのだから認めてもらえるだろう。
こんなにやっているのだから結果が出るだろう。
こんなに一生懸命なのだから伝わるだろう。

といった「期待」を私たちは少なからず持っている。こういった「期待」が私たちの頑張りの一部を支えてもいる。

しかし、この期待が裏切られた時、人は傷つく。怒りはエネルギーをかけたからこそ発生するもので、大きな怒りほど深く傷ついているということだ。
(ただ、「期待を裏切られた」と書くと怒りを覚えている人が被害者のようだが、それも違う。「期待を裏切られた」というのは、怒りを覚えている相手が「自分の思い通りにならなかった」ということで、誰かへの高い期待そのものが人と人との境界線を超えている場合もある。)

ここで大切なことは、「怒り」には関係性があるということ。期待をするにしろ、大きなエネルギーを注ぐにしろ、ベースには関係性を維持したい思いがあるのだ。

一方、「憎悪」には関係性の維持がない。一緒には生きていかない、相手を拒絶する感情で、「怒り」とは似ているようで根っこが全く違うのだ。

この受講生は同棲している「彼」との別れを考えていて、新しい彼女の家を探している最中だった。もちろん、彼女の怒りの対象は同棲中の「彼」だったわけだが、「この人とは一緒に生きていかない」と決めていたのだからやはり、「怒り」感情ではなく「憎悪」感情だったのだろう。

次の講座にいらした受講生に「怒りanger」と「憎悪hatred」の違いをご説明させていただくと、納得されていた。それに新居が見つかったらしく、半分は「憎悪hatred」なんてどうでも良くなっている感じだった。good♪

受講生は自分の未来に期待し、それを叶えるための一歩をふみだしてる。
「憎悪hatred」を感じながら現状を維持したままそこで生きるより、人としてうーんと真っ当な生き方だ!