感情の取り扱い事例
強がってました…
受講生は理想を語り始めた。
「1日に働くのは2、3時間程度、
年収は8桁で、南国に移り住んで、、、」
それが叶ったら、次は何をするの?
私は尋ねた。自分が理想とする核に近づくには、「それが叶ったら?」を3度ほど繰り返す必要がある。なぜなら、現代人は社会に受け入れられやすい望みや、皆が憧れている価値観で自分の理想を決めてしまっている可能性が高いからだ。
「それが叶ったら、9桁で、、、」
それが叶ったら?
「それが叶ったら、
自分のように自信がない人にも大丈夫だよと伝えるかなぁ…」
他の受講生の前ではあまり言いたくないといった風だった。きっと言葉にはしない本当の目的があるのだろうが本人が意識出来てないようだった。しかし、どこかで聞いた風な理想ですこし寂しい。
「これが叶ったら、一体どうなると考えているんだろう?」
「どうなれる!と思っているからこの理想があるんだろう?」
上記の質問の答えを考えてくることが受講生への宿題となった。
私たちは「願いが叶ったらきっとこうなる」といった『先』を見ている。本当は、願いが叶った『先』を手に入れたいんだ。願いが叶った『先』を手に入れるには、「これが必要だろう」と解釈し、「これが必要だろう」と解釈したものを手に入れることを願う。「これが必要だろう」と感じたものを手に入れたらその『先』も手に入るはずだから。
本当の願いは『先』なんだ。
例えば、「痩せたい」「綺麗になりたい」の『先』にあるのは「みんなから認められたい」かもしれないし、もしかしたら「すごいと言われたい」「一目置かれたい」といった自己存在を強く感じたい欲求かもしれない。少なくとも、「痩せれば良い」わけではないはずだ。その証に、痩せてやりたいことは人と会うことだったり、人前に立つことだったりする。痩せて「一人にんまりしたい」といった希望を言う人はいない。お金を稼ぐことも同様かもしれない。
2週間後、講座に現れた受講生に宿題を尋ねると、
「あの時は強がっていました。もうすでに十分というか、今のままでも幸せじゃないかと気づきました。」といった答えが返ってきた。
正直、驚いた。
よく気づけた!素晴らしい!!!
あなたがどういうことに気づけたとおっしゃっているのかというと、私には以下のように聞こえます。
人は劣等感や「自分はダメだ」といった思いからいろんなものを積み上げて、自信をつけようとする。つまり、「今の自分に自信がないのは確固としたできることや証拠がないからだ」と考える。この思考でいくと、何かが積み上がれば自信となり、仮に積み上がらなかったり、崩れてしまったら自信がなくなるということになる。自信ってそんなに不安定なものだろうか。
自分自身の深いところに自信がある人は、やれた、やれなかったで自信がアップダウンしたりしない。安定的な自分への信頼というか、確信がある。だから、その安定的な自分への信頼や確信に証拠は不要だ。
しかし、劣等感や「自分はダメだ」といった思いの『I’m not OK』の上にいくらやれること、やれたことを積み上げても、ちょっとダメなことが起こると一気に0に戻ってしまう。
それにいつも、自分に自信を持つには何かが足りない。そんな感覚を持っている。自信がある状態を知らないから、自信がある状態を誤解しているのかもしれないね。
まるで最初の1が無いまま100までブロックが積まれてしまったみたい。100まで積み上がっているのに、最初の1が埋まっていない。この最初の1こそ、『I’m OK』 のことだ。この時の『I’m OK』を「今で十分」とか「この程度で満足すべき」といったことと混同しないでほしい。『I’m OK』とは「すでに必要なものは全て揃っている」といった感覚だ。
「すでに必要なものは全て揃っている」と聞くと「私には何もない」と反発を感じる人もいるだろう。本当にそうだろうか。行くべき会社があり、取り組むべき課題があり、気にしてくれる親や友人(気にする親や友人)がいて、住む家もある。動ける身体があり、考える力があり、悩む時間がある。結構なものを持っている。それでも納得いかないのなら、考えてほしい。一体、何がどう揃えば、自分には不足がないと思えるのだろう。
『I’m OK』か『I’m not OK』かの違いは、積み上げ方にも差が出る。
『I’m OK』はすでに十分持っていることに気づいている。自分は愛すべき存在であることに自分で気づいているので、自分の存在を証明するために無理して何かを積み上げる必要はない。もともと備わっている成長欲求や成熟欲求に従って「やりたいこと」を積み上げようとする。「やりたいこと」だから楽しい。「やりたいこと」だからやめたい時に止めることができる。そもそも「やりたいこと」だから結果が出なかったら残念だけど焦らない。
『I’m not OK』の場合は、「今の自分ではダメだ」から始まっているので自分の存在を証明しなければならない。「そのままではダメな自分」がやることだから「やりたいこと」ではなく「やらなければならないこと」になってしまう。「やらなければならないこと」だから、歯を食いしばって頑張らなければならない。「やらなければならないこと」だから、結果を出さなければならない。やれなかったらダメで「やらなければならないこと」だから、辛い。
最初が違うだけで、同じことをやっていても心模様も結果も随分と差が出てしまう。
この受講生の場合なら、不労所得で8桁、9桁稼げるようになり、経済的自由と時間的な自由が手に入れば、人生が変わる!自信がつく!と思っていたんじゃないのかな。だから、頑張らなければ!!!と思って実際に頑張ってもきたし、その理想は一歩も譲らないぞと強がってもいたんじゃないのかな。
すでに必要なものは十分持ってることに気づいたんだよね。
私にはあなたの話はそう聞こえる。
十分揃っている自分を信頼もできそうだ。自分への自信を認めていいんだよ。自信を認めたからって成長が止まるわけじゃないし、頑張れなくなるわけじゃない。「出来ないとダメ」なことじゃなくて、「やりたいこと」を選ぶんだ。自分がやりたいことにストレートにエネルギーを注ぐんだ。もちろん、「やりたいこと」のための「やらなければならないこと」はあるけど、その「やらなければならないこと」は「やりたいこと」に含まれる。
『I’m OK』か『I’m not OK』といった最初の、ほんのちょっとのベクトルの違いは人生の方向性に大きな違いを生む。よく気づけたね!本当に素晴らしい!あなたに関わっている人間として心から嬉しい!あなたを誇りに感じるよ。