大の大人がオリンピック出場を本気で狙いますか?


感情の取り扱い事例
今の自分は「仮の姿」で本当の自分になれば…

「どうにか一旗あげて、この会社を去りたいと思っているんです。
そうするためには、この仕事でスゴイ実績を残すとか、投資してスゴイ金を稼ぐとかが必要だと判断してやっているのですが、私の仕事は凄さが数字でわかる仕事ではないし、投資ではたくさん失敗をしてきています。結局、パッとしないままです。いったい、何が原因なのでしょう?」

受講生は今までのこと、自分の想いをスラスラと話をしてくれた。
ただ、「一旗あげて」や「投資でお金を稼いで」などは、二人の子どもがいて、家族を養ってる50を過ぎた男が話す内容ではないように私は感じた。夢見心地。たくさんの様々な経験を積んだ男が話す内容にしては少しがっかりだ。

うまくいかない理由以前に、そもそもこのクライアントの目標自体が適切かを考えたい。
例えば、私たちは今更オリンピックを目指したり、オリンピック出場を人生の目標にしたりしない。それは到底無理だといった事実を見ているからだ。ただ、時に私たちは事実を知らないばっかりに無謀な目標をもってしまう時がある。しかし、無謀な目標はちょっと挑戦してみれば一目瞭然で、無謀だったことを理解し、目標を調整する。スポーツであれば、オリンピックは無理だけど市民大会なら目標にできそうだといった具合だ。目標を自分の身の丈の合わせて調整せぬまま、チャレンジを続ける、もしくは諦めないのは努力家とは言わない。それどころか仮にオリンピックに出れない自分を嘆いていたら違和感しかない

受講生の話にはこの違和感があった。
営業職のような成果が数字ではっきりするような部署ではないのに、成果を見せつけたいと無理な欲求を持ってみたり、安定した大きな会社に勤めてらっしゃるのに、怪しい投資に手を出してみたり。
すでに十分な状態なのに、このクライアントは何が欲しくて手を広げているのだろう。そもそもの目標が適切とは思えない。大きすぎる。大きすぎる目標を掲げ、大きすぎる目標だから当然目標達成できない。そのことに落ち込んでいるように見えた。まるで、1日で20キロ痩せるぞ!と無謀な目標をたて、今日は1キロしか減らなかった…と落ち込んでいる人みたい。

じゃぁ、なぜそんな無謀な目標を立てるのだろうか。それは当然、やれると思っているからで、つまり事実を見れていない。これそのものが未成熟なんです。

私は立て続けに受講生に質問を投げ、回答した。
自己存在証明を得たいと思ってらして、今の自分は「仮の姿だ」と思ってらっしゃいませんか?
本当の自分はこうじゃないんだと思ってるんじゃありませんか?
うまくいかないのも本当の自分じゃないからだと思ってらっしゃいませんか。

だとしたら、それは間違いです。
それが、今のあなたの本当のご自分です

本当のご自分を見ることなくして成長があるとお思いですか?
うまくいかない理由を他に求めるのではなくて、自分に何か課題がるんじゃないか。そろそろそのことにお気づきになって、取り組んでみる覚悟をしてみませんか

「は、はい。」
そう答えたきり、受講生はその後、講座では言葉を発しなかった。取り組みは次回の講座からでいい。今日はもう充分だろう。事実を受け入れることができれば、受講生はやっと一皮剥けるんだ。50代も後半の受講生にとっては今の自分の事実を受け入れること自体に勇気がいる

大切なことは、受講生は自分が問題だというところにいかず、幻想を持つことで自分を保ち続けてきたとうこと。だから、うまくいかないことの理由を自分以外に探し続けてきたんだ。

人はうまくいってないことの理由を自分のせいや時代のせい、組織のせいや運のせいなど、いろんなものに帰属させるが、フリッツ・ハイダーは人間の行動は基本的に、内的な要素と外的な要素の二つに帰属することができると言った。内的な要素とは能力や意思、努力の度合いなどであり、外的な要素とは運や状況、偶発性などの外的な要素の二つに分類することができ、行動はこれら内的要因と外的要因が相互に関係していると論じた。

成熟している大人はフリッツ・ハイダーの言う内的要因と外的要因のバランスが良い
例えば、運が悪い、環境が悪い、仲間が悪いと自分以外に原因を求める外的要因が強い人は未成熟だ。一方、自分の努力不足だった、力不足だったと自分に原因を求める内的要因が強めな人に成功者が多く、成熟している人が多い。しかし、この内的要因も行きすぎてしまえば、自責の念にかられてしまい成熟に達しないということになる。

内的要因と外的要因のバランスは、やはり事実を見ることから始まる。
あなたの事実はなに?