愛するとはいったいどういうことなのだろう。愛を知るには時間がかかる。

今回は「愛をわかってなかったということに気づきました」という受講生。
おぉ!では一緒に愛を考えてみよう。

愛にはさまざまなものがある
例えば、宗教的信念に基づく愛も愛であれば、
自分の欲求を満たすための愛もあるだろうし、
自己確認の愛もあれば、相手を活かす愛もある。

どんな愛にしろ、
まずは今の自分の「愛」がどんなものかを自覚する必要がある。


例えば、「自分の欲求を満たすための愛」を愛だと思っていたとしよう。

このタイプの愛であれば例えば「嫉妬」が起こりやすくなるだろう。
だって、自分の欲求を満たすための愛だもの。
独占欲も強くなる。

するとまぁ、相手も嫉妬を起こさせるレベルの相手のはずで、混沌とした苦しみを過ごす。
そのうちに相手を活かそうとする愛レベルの人に出会ってしまったりする。

すると今までと全く違う感覚を得るはずで、

これが愛なんだ!!

というような出会いがあって、やっと愛を知る。

出会う相手によってさまざまな愛を学ぶのだけど、
本人に「豊かさ」がないと相手は選んでくれないよね。

相手が私を好きになってもらう必要がある。

つまり、相手を活かす愛のレベルに行くためには、
自分の欲求を満たすレベルの愛の修羅場のような経験を得て、
自分の痛みを自分で引き受けて幅が広がるということが不可欠となる。

自分の幅が広がると相手を活かす愛のレベルになった瞬間に、
同レベルの相手が登場する

つまり、自分の愛のレベルに見合う相手しか見えないんだよね。


「愛がない」といった方には
相手を殺したくなるほどに好きになった経験はありますか?
と聞くようにしている。

「yes」となれば、相手を活かす愛のレベルの可能性がある。
「no」となれば、相手を活かす愛のレベルはまだ遠い。

ただ、幸にして愛とは何かを考え始めたというのは
自分のなかの、愛というものを考え直す、深め直す場所に来たということになる。

愛を知るには時間がかかるね。