「自分」という中心

被害者にも、加害者にも批評家にもならない、「自分」という中心

 「自分」という中心とはどういうものか?
一言で言えば、「自分の主導権を自分で握っている状態」。別の言い方をすれば「主体的に生きている」ということ。

加害者や被害者になってしまっているのは、あなたの人生の主導権を「誰か」や「出来事」に渡してしまっている状態です。

例えば、
✔️彼がこう言ったから私はこうする。
✔️あの人があんな態度だから、こんな気分になる。
✔️あの過去が私をこんな態度にさせる。
といったものは、主導権が「誰か」や「出来事」にあります。

もちろん私たちは人や出来事の影響を必ず受けるのですが、
それでも、感情や態度は選ぶことができます。

選んだ時点で主導権はあなたに戻ってきます。

同じ出来事に対して、イライラして過ごす人もいれば、穏やかな気分で過ごす人もいます。加害者や被害者、批判者の立場を選ぶこともできれば、中心を選ぶこともできるのです。

まずはどこに今の自分がいるか意識するところから始まります。
✔️今、自分は被害者にいないか?加害者?傍観者?
✔️自分の人生の主導権を自分が握っているか?
✔️それとも、何かに渡してしまっているか?

意識できても、「中心を選べない」とおっしゃる方がいるでしょう。
あなたは「中心を選べない」のではなく、
「中心を選びたくない」のですね。

なぜでしょう?中心を選びたくない理由を考えてみることです。
そこには必ず大きなヒントが隠れています。

一つの行動は繰り返されるごとに強化され、習慣化され、意識できなくなっていきます。

そして、誰もが不完全です。
自分が不完全なら、相手も不完全です。

自分は不完全なのに相手に完全を求めるのは身勝手すぎます。
不完全な相手だから、自分も不完全になるというのも変です。
自分は常に意識的に中心にいることを選択すること。
それこそが自分を大切に扱っているということです。