「どんな自分が好きかわからない」は「どんな人生にしたいかわからない」ってことだよ


感情の取り扱い事例
【誰かに見せるための人生を選んできたんじゃない?】

新刊『そろそろ「わたし」でいきていく〜今日から自分を好きになるために〜』発売を機に、オンラインをはじめ全国で『本を読まない読書会』第一弾を催した。

読書会の中で多かったのが「こんな自分が好き!」が思い浮かばないといった質問。

最初の頃は、

こんな視点から見てみたら?
過去の自分で探してみよう!
成功と好きは違うから、「やれた」ではなく「好き」で考えてみて!

などのアドバイスをしていたが、すぐには難しそうだったので「こんな自分が好き!」を見つける簡単なワークを用意したほど。
「こんな自分が好き」を利己的やナルシストとどこかで混同しちゃったのかな。ワークを埋めるのにたくさんの時間が必要な人も少なくなかった。

それどころか「嫌いな自分はたくさん出てくる」といった人も。ただ、嫌いな自分がたくさん出てくることは決して悪くない。その反対が好きな自分ってことだもんね。

例えば、
「ダラダラした自分が嫌い」なら→→→「サッサとする自分が好き」
「軽く嘘つく自分が嫌い」なら→→→→「正直な自分が好き」
「人を羨ましがる自分が嫌い」なら→→「自分に集中している自分が好き」
ってことだよね。なら、「嫌いな自分」をリストアップして、その反対を考えてみても「好きな自分」は見つかるね。

「こんな自分が好き」がすぐに浮かばないってことは、今までどんな自分が好きかに注目してこかなったってことだよね。

あなたが好きなあなたを目指さなくて、一体何を目指しているんだろう?
もしかして、誰かに見せるための人生を選んできたんじゃないの?
もしかして、自分の足で立つより誰かにどうこう言われることを恐れて世間的な正しさに逃げてきたんじゃないの
だから、どんな自分が好きか以上に何が正しいかばかりが気になるんじゃないの?

「こんな自分が好き!」がぼんやりしているってことは、「どう生きたいか」がぼんやりしてるってことだよ。
「こんな自分が好き!」がわからないってことは、「どう生きたいか」がわからないってことだよ。
「こんな自分が好き!」のアンテナが立ってないってことは、人生を楽しみ損ねてる可能性があるってことだよ。

ということは、この逆は、

「こんな自分が好き!」がはっきりすると「どう生きたいか」がはっきりする。
「こんな自分が好き!」がわかることは、「どう生きたいか」がわかる。
「こんな自分が好き!」のアンテナが立つと、人生はもっと楽しめる。

ってことでもある。

少なくとも「こんな自分が好き!」と感じる瞬間がたくさんある人生の方が、そうじゃない人生より圧倒的に楽しい人生だと思うんだけど、どう?

あなたはどんなあなたが好き?

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