感情の取り扱い事例
ABC理論
4nessコーピング講座では、考え方にいくつかのルールがある。
感情の構造、ABC理論はその基盤を成していると言っていいだろう。コーピング体験会でも、基礎やマスター講座でもベースはABC理論だ。このことをしっかりと身につけるのには実際、時間がかかる。長年受講してくれている受講生が再度、体験会に参加すると「改めてわかる」と言うのはそのためだろう。
ABC理論のABCはそれぞれの頭文字で、
AはActivating event、出来事のこと
BはBelief、固定観念や認知のこと
CはConsequence、結果や感情のこと。
Aの出来事がCの結果や感情に強く影響しているようだが、実はBによって変わるというもの。Bは丁寧に言うと、「出来事を自分にどう説明したか」で、簡単に言ってしまえば「思い込み」とも言い得る。
この理論を受け入れるには辛い一面を持っている。あらゆる結果や感情を出来事のせいにできなくなるからだ。
例えば、あの一言がなければ、この両親でなかったら、あの時そうしなければ…といった出来事が今を作っているようだが、実はそうではなく、あなたの解釈で変わるとなれば、自分がすべての責任を引き受けなければならなくなる。しかし辛い一方で、この理論を受け入れてしまえば、起こる出来事に振り回されることはなくなり、人生の主導権はあなたの手中に入る。なぜなら、何が起ころうがその出来事をどう解釈するかを選択することで結果も感情も変わってしまうから。
私の家族は今もそうだがとても仲の良い家族だった。過去形で書くのは母が9年前に亡くなっているからだ。母に会うために実家に戻っていたんだな…と家族の中心が母であったことをよくよく理解したのは母が亡くなってからだ。
父は暴れん坊の経営者だった。高校を喧嘩で3日で退学。その後、バイク屋を経由して車屋を営んでいた。父は等身大で生きている男で、威張りもしなければ気にくわないことには真正面から戦いを挑んでいく。陽気でわがままで大好きな父だ。母は芯が強い女性だったが、それはそれは優しかった。厳しく叱られた記憶が私にはない。いつも嬉しそうに私の話を聞いてくれていた。10代で出会った二人はいろんなことを乗り越えて私たちを育ててくれた。が、父は58歳で脳梗塞となり、左半身不随の後遺症を抱えてしまう。突然、機能しなくなってしまった父に代わって母は会社を切り盛りしたが疲れ果ててしまい、希望者を募り会社は当時の社員に引き継がれた。
父が倒れた7年後、母の乳がんが発覚する。父を介護しながら、母は一人でガンと闘っていたが、手術をした翌年再発してしまう。そしてだんだんと母を犯していっていたガンは骨にまで転移していった。
その当時、私の子どもたちは7歳と4歳。まだまだ手がかかる時期で、私の会社は南は鹿児島まで九州展開していた。実家にはそうそう帰れず、母も娘たちの状況を理解しているからこそ、何かを言ってくることはなかった。そんなある日、母は自ら命を絶ってしまう。要介護の父を面倒見ながらガンと闘うことに限界を感じたのだろう。母の日記には、娘たちの名前の後に「ごめんネ」と書いてあった。
母が自ら亡くなってしまったことをどう解釈するか。自分で命を絶ったことに対しては、私はごめんなさいとしか思えない。もっとやれたことがあったのではないかといった思いは9年経った今でも無くなりはしない。しかし、大好きな母だからこそ、何事も母の死のせいにはしないと決めた。母がもういないことは悲しいが打ちひしがれることはしない。母を思い出さない日は1日もないが前に進む。あの世があるかどうかはわからないが、私があの世に行った時に、母と堂々と話ができるよう精一杯この人生を謳歌しようと決めている。手前味噌で申し訳ないし、できない時も当然あるのだけど、ABC理論を実践するとはこういうことだと私は思う。