いつも忙しく「毎日が大変」と思っている人は


感情の取り扱い事例
「大変、いつも大変…」仕事は早朝から深夜まで。
いつも大変な受講生は忙しくしていた。

会社を早めに出ようと退社時間を決めても
帰り際、声をかけられ結局いつもと変わらず遅くなる。

それでも受講前とは随分変わっていたが「大変さ」を手放さずにいた

出来事が起こったとしても「大変」にするかどうかは本人が決めている。どんなにうろたえることが起こったとしても落ち着いた人もいれば、慌てる人もいて、その反応が三者三様なのは、感情は起こった出来事をどう解釈したかの結果でしかないからだ。

確かに早朝から深夜まで働くのは身体的にはきつい。そうわかったなら、仕事の範囲を決めればいい。しかし、大変さを調整せず、大変がっているのなら、その大変さを本人が選んでいて、大変さを自ら手放さないからだと仮定したらどうだろう辞めたいと意識では思っていてもり続けることには必ずメリットがある。

受講生は幼少期、母が妹や弟のお世話で大変そうに見えて、長子の私まで母に迷惑をかけてはならないと子どもながらに工夫していた話をしてくれた。

母のために「大変」を選んでいたのね。

大変そうな、大好きな母と共感するためには、自分だけ大変から抜け出す訳にはいかない。母を思う優しい受講生は「お母さん、私も大変だよ。同じだよ。」と大好きな母と共感することを潜在的に目的にし、大変さを手放さなかったんだ。「母への共感」を手放さなかったと言ったほうがいいかもしれない。

まるで母の人生を生きているよう

子どもは母や父を大好きで生まれてくる。
親への愛情表現は子どもによるが、女性の場合「共感」という愛し方をしている人は少なくない。親と同じような人生を生きているとすれば、共感を利用して親への愛情を示している可能性は高い

そのことに気づいた受講生は自分の人生を選択することを決めた。

大変がらない。
大変なフリはしない。

このことを決めるには力がいる。受講生はその力が付いてきたから大切なことに気づけたのかもしれない。
しかし、そう決めるだけで、いろんなことが楽チンになってきたと言う。仕事を大変がらなくなると、周りの大変だと思っていた人がそうじゃなくなった。空腹を大変がらないと、イライラすることが減った。

以前は異様に感度が高かった「大変」を感じるアンテナが収まり、
自分の生き方のアンテナが立ってきたんだ。

人は皆、親の価値観を受け継ぐ。そうでなければ幼少期、その家族の中で生きていくのは困難を極めるから。でも、大人になったら価値観を棚卸し、自分で選ぶことができる。

自立するとは何も自分で働いて、自分で生きていけることだけを言うのではなく、やるべきこと、やれること、やりたいことを自ら選択することを言うのだと思う。