モヤモヤする時


感情の取り扱い事例
【敢えて言葉を飲み込む時もある】

私たちは全てを言葉にしているわけではない
言葉にできない時もあるし、敢えて言葉にしない時もある。

例えば、自分の失敗ではないのに自分のミスのように言われることがある。例えば、自分の提案でうまくいっているのに、誰かの手柄になってしまう時もある。スマートフォンやドライブレコーダー、防犯カメラ等のおかげで出来事が湾曲して伝わってしまうことは減ったのかもしれないが、事実が事実のまま伝わることは想像している以上に少ない。
なぜなら、事実には解釈が加わるから。

受講生はあることにモヤモヤを感じているようで「そのモヤモヤが自然なことなのかどうか知りたい」と質問の手を挙げてくれた。

受講生は仕事のプロジェクトで自分が犯した間違いではないことを、さも自分が間違ったかのようにリーダーから指摘された。以前の自分なら、相手に誤解されたままだと信頼を失ってしまい、仕事のオファーがその後来なくなることを恐れ「それは違います。なぜなら…」としっかり相手に『自分が正しい』ことを伝えていた。

しかし、今回は「目的はプロジェクトを成功させること」であり、「自分の正しさを相手に伝えることは優先事項ではない」と考え、敢えて言葉を飲んだと言う。だけどモヤモヤした気持ちが残っている。

私は話を聞きながらとても嬉しく感じた。
あぁ…幅が広がられましたね。

自分が正しいことや誤解されないことにこだわりすぎる人がいる
 自分のことを危ぶんでいるからだ。自分のことを自分がしっかり信じていれば、多少の誤解が生じてもスルーできるものだ。誰の間違いだったかは自然とわかるものだし、誤解していた人が誤解に気づいたとしたら、その思慮深さにあなたへの信頼度は上がるだろう。もちろん気づけずに誤解したままのケースもあるだろう。だからってどうなるというのだろう。そのミスで次の仕事につながらなかったとしたら、誤解しているその人のミスだ。その人の能力が垣間見えるだけだ。


人は誤解を恐れる

誤解されたままだと自分に傷が入ると感じるかもしれない。だとしても、人はひとつのミスだけでその人の仕事ぶりを判断するものではない。クオリティやそれにかかる時間、仕事のプロセスを通した情緒的成熟度など、全体を通してその人の仕事ぶりは判断される。それに、能力や信頼度、スピード感などが同等であれば、人として付き合いたい人かどうかが最終判断を分けるものだ。何も慌てる必要はない。その場を荒げず、やり過ごせる力は必ず伝わる。

それに、自分が言葉を飲み込むことがあることを知れば、他の誰かも言葉を飲み込んでいる可能性に目を向けることができるようになる。人は感じている全てを口にしているわけじゃないことや、立場によっては口にできない事情を抱えているケースだってあることを知れば、見えるものだけで誰かをジャッジするのではなく、見えないものを含めて人を深く見ることができるようにもなる。今回の受講生がチャレンジしていることに、豊かさ以外の何があるというのだろう。

自分の気持ちを大切にするとは
自分の思いを言葉にする行為だけではない
。自分がどう感じたかばかりを重要視する人は、みんなで同じ目標を目指している場などでは特に面倒臭い人に感じられてしまう。その場や相手をおもんばかることが結果、自分を真に大切にしていることにつながることは多々ある。

最後、こんな素晴らしいことが出来ているのにモヤモヤするのは単純に、その行為に慣れていないから。それだけ。やり慣れてないことにチャレンジしているんだからモヤモヤするのは自然なこと。

誤解はいづれ解けることや誤解が解けなくても大した影響がないことを経験していけば腹落ちしていく。どんどん慣れていくさ。

人としての深みが増すと思わない?
受講生は、自分の正しさを主張したい気持ちよりプロジェクトの成功を優先した。素晴らしいじゃないか!!!
誤解が誤解のままなのか、どのタイミングで誤解が解けるのか、誤解が解けた時に相手はどうするのか等を観察していくと、相手の力量も含めて今まで見えなかった世界が見えるようになる。
それでいい。やるほどにどんどんデンとしてその場に居れるようになる。人としての深みがさらに増していく。