もっと未然に防げたのでは…と後悔するとき


感情の取り扱い事例
【未然に防ぐことが無理なのでなく、もう防いでいるんだよ】

もっとちゃんとやっておけば、こんな問題は起こらなかったんじゃないか。
しっかり確認しておけば、未然に防ぐことができたんじゃなかろうか。

後悔に近いこういった思いに苦しむ人は少なくない。

もっとこうしていれば…
別の方を選んでいれば…

今回の受講生は長年、通ってくれている優秀な受講生だ。
仕事もプライベートもよく頑張っているし、成果も十分に出している。
が、『定期的に問題が起こること』を問題視していた。

先程のセリフ、
もっとちゃんとしていればトラブルを未然に防げたのでは…
自体が、受講生の思考の癖だった。

「もっとちゃんとしていれば」は、
ちゃんとしていなかった「私が悪い」「私が間違っている」と言っているのと同じだ。
つまり、
何かトラブルが起こった際には必ず「自分が悪いのでは?」と、
「自分がダメ」なように考える癖があり、自己否定感を募らせているることを自覚しなければならない。これが思考の癖なんだ。

それに、未然に防いだトラブルは知りようがないよね。
と伝えると、
そうか!と受講生はどこか肩の荷が降りたように笑っていた。

防げなかったトラブルはトラブルだと認知できるが、未然に防げているトラブルはトラブルとして現れないから、未然に防げたかどうかの確認ができない。
私の個人的な感覚だけど、ハインリッヒの法則ぐらいのことが起こっているんじゃないかと感じている。

ハインリッヒの法則とは、
簡単に言うと一件の大きな事故・災害の裏には、29件の軽微な事故・災害、そして300件の事故には至らなかったものの、ヒヤリとした事例があるとされる。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/ハインリッヒの法則)

つまり(あくまでも想像だが)未然に防いだトラブルは300近くあっているのかもしれない。なのに、ひとつのトラブルが起こったことで、「もっとちゃんとしていればトラブルを未然に防げたのでは…」と考えるのはどうだろう。

それに、私たちはいつもその時、その当時の最善の答えを出している
時間が経ってから「あの時こっちを選んでいれば…」「もし、こうしてたら…」と考えること自体がナンセンスなんだ。

仮に、最善がどう考えてもダメな選択であったなら、力がなかっただけだ。
今後、同じ間違いをしないように今から力をつければいいこと。

受講生はどんどん元気になっていった。
こうやって物事をシンプルに考え直し、自分ができることに瞬時にフォーカスできることも受講生に力がついてた証だ。
心が折れないことに越したことはないのかもしれないが、そう都合良くはいかない。
傷つきもすれば、心が折れてしまうこともある。心が折れないように毎日を過ごすことより、折れた後に、いかに適切に復活できるかのほうが大切なんだ。

受講生の顔には「私、よくやっている!」といった自信のようなものがみなぎってきた。
実際に受講生はよくやっている。よくやっていることを自負して損はないはずだ。もっと堂々と‼︎今後はその訓練により入っていきましょ!

ちなみに、簡単に世の中には、何かトラブルが起こった際には必ず「相手が悪い。自分は悪くない」と考える癖を持っている人もいる。こういう思考の癖がある人は常に怒りを持っている。だから、そういった人たちは怒りのワークをして、怒りを解放していかなければならない。その怒りが自分を痛みつけてしまう前に。