自分に正直に生きるというのは、他者の期待を裏切るような罪悪感を伴うこと


感情の取り扱い事例
【他人の期待に応えると同時に、自分の期待を裏切り続けているのかもしれない】

『葛藤』は基本的には次の3つの型に分けられる。

(a)接近・接近型:海水浴にも行きたいが登山もしたいがどちらか一つを選ばなければならない,
(b) 回避・回避型:落第もしたくないし勉強もしたくないがどちらか一方を選ばなければならない,
(c)接近・回避型:ふぐは食べたいが命は惜しい,というように対象がプラスとマイナスの有誘発性を同時にもっており,その対象に接近するかどうかを決めなければならない。
コトバンクより

つまり葛藤とは、人が2つの同程度に魅力的な (あるいは同程度に嫌いな) 選択肢のなかから一つを選ばなければならない状況のこと。
人が「難しい」とか「選べない」といった言葉を使う時は、葛藤している状態ともとれるね。

今回の受講生は「自分に正直に生きることが難しい」と言った。

そこには葛藤があるのかもしれないね。
例えば、上記の葛藤のabcの型に当てはめてみてみよう。

(a)接近・接近型:自分が好きなように生きたいが、親の期待にも応えたい。
(b) 回避・回避型:堕落的な人生は嫌だけど、すごい努力もしたくない。
(c)接近・回避型:成功したいが失敗は嫌だ。

どれに近い?と尋ねると、(a)だと答えた。

受講生の年齢は40代中盤。結婚はしていないが自立した生活をしている。
一人っ子だから、教師でもある両親から丁寧に丁寧に育てられたと話してくれた。
しかし、「○○先生のところのお嬢さん」という目で見られ続けてきたことが重く、大学を機に家を出ている。

ただ最近は両親も歳をとっていることもあって「実家に戻ってくれば?」攻撃が激しさを増しているらしい。
独り身でもあるので、将来を考えると実家に戻ったほうが良いのかな⁈とか、衰えていく両親のことを考えると戻るべきか⁈とも考えるが、親や周りの人の期待に応えるような生活を想像するだけで苦しくなると言う。


【何かを得るには、何かを捨てなければならない】

受講生は、何不自由ない生活もできているし、仕事はやりがいがあるとまでは言わないけど職場の人には可愛がってもらっているし、結婚はしていないがパートナーもいる。
なのに、いつもどこか満たされないという。

それは、誰かの期待に答えて生きてきたということ?
今回のことも「親のところには帰りたくない。」と、答えは既に明確だけど、葛藤が起こっているのは、親の期待に応えられないところだ。

受講生は「いつもそうだったかもしれません。。。」と話を始めた。
葛藤が起こると、結局はだれかの期待に応える方を選んできたという。自ら選んだことだから我慢しているわけではない。だけど、負担が0なわけでもない。

そういう選択をずっとやってきたということ?と尋ねると、深く頷いた。

自分に正直に生きるというのは、誰かの期待を裏切る罪悪感というか、心がちくっとするような痛みを伴う。だけど、その痛みを避けようとすると、自分の期待を裏切ることになる。
あなたは自分を裏切り続けてきたのよね⁈

表情は神妙だった。

自分の期待に応えるためには、誰かの期待を裏切る罪悪感を引き受けなければならないのかもしれない。それに、受講生は自分のwantを通すことに慣れていない。自分のwantを押し通すことは大きな責任も伴う。自分の期待に自分が応えるのにも練習が必要だ。NOというのは勇気がいる。意地を張ることを推奨しているわけではない。自分のwantを大切にする力をつけていくには罪悪感を乗り越えることが必要なんだ。やってみて嫌だったら以前のやり方に戻ればいい。以前の、誰かの期待に応えるやり方は慣れ親しんだやり方だからいつでも戻れる。

受講生は最後、親に自分のやりたいことを話そうとするとどうしても喧嘩になってしまうので、どう話せば良いですか?と質問してくれた。

淡々と「提案、ありがとう。だけど今は私はこっちにいたい。」と伝えるだけだ。
がっかりする様子が声から伝わってくるかもしれないし、「そんなこと言ったってこの先どうするつもりなの?」と親が食い下がってくるかもしれない。

そうしたら正直に「帰りたくなるかもしれないし、帰りたくないままかもしれない。将来はわからない」と答えればいい。。正直な気持ちなんだから仕方ない。

わからないものはわからない。それでいい。
できないことはできない。それでいい。
親もあなたに望みを伝えるし、あなたも親に望みを伝える。それでいい。

結果はわからないけれど、今できる最大のことをやる。それでいい。

*第4回 連載中↓↓↓