コーピング・ダイエットとは


感情の取り扱い事例
自分を本当に大切に扱うこと

ダイエットには、糖質制限などの食事療法や効果的な運動療法、記録するやり方やキレイな人に成り切るなどさまざまな手法がある。
いろんな手法があるのだけど、それぞれに成功する人もいればそうでない人もいる。なぜ、違いが生まれるのだろう

どんなやり方でも、手法をやる人のフィルターが歪んでいたら、結果は出にくい。つまり、ノウハウを取り扱う『人』の問題であることが多い。となると、どんな手法でも効果が出る人は出るし、出ない人はずっと出ないということになる。だからコーピング・ダイエットではその人の間違った思い込みを修正することから始める。

コーピング・ダイエットでは、思い込みの修正と同様にもう一つ大切なことがある。『痩せて何をしたいのだろう。どうしたいのか?』といったダイエットする目的だ。ダイエットする目的がより健康に成るためであれば成功しやすい。なぜなら、ダイエットは一生もので、一過性のものではないからだ。私たちは死ぬまで食べる。太った原因を食べ過ぎたことだとしてしまうと、食べることに罪悪感を感じるようになる。それでは長続きできない上に、異様な食欲に見舞われてしまう可能性も高い。それに、○キロになるのが目標だとすると、その体重まで頑張りすぎてしまう。頑張りすぎると辛くなる。辛くなるとずっとはできない。たちまち元通りの太りやすい生活に戻ってしまう。

そもそも私たちは自分を健康に保つようにプログラミングされている。「今日は妙にコレが食べたい」と思う時などはまさに体が必要な栄養素を要求しているのだ。

ただ、この感覚が狂っている人がいる
例えば、嫌なことから逃げるためや辛いことを緩和するために食べたり、視覚情報で刺激を受けていたり、付き合いのために食べたくないものを我慢して食べたり…と様々な理由があるが、要は自分を本当の意味で大切に扱えていない。自分の快適さを許せていない。もしくは、「自分はダメ」からスタートしているので完璧にやることを自分に強く課していたりする。完璧なダイエットなどないから続けられるわけもなく、そんな自分をまた自分で責めては、その痛みを緩和するために食べるといった悪循環に陥ってしまう。まぁ、ダイエットといってもその奥にはさまざまな未処理の感情がうごめいていることが多い。ココを取り扱わなければならない。

先日のコーピング・ダイエット講座では手法を伝えることは二の次で「自分を本当に大切に扱う」ことや「自分の快適さにOKをだす」などをメインにお伝えした。

その時の受講生からのアンケートには、様々な気づきが書かれていて、3時間の講座が届いているのが私はこころから嬉しい♪

以下、アンケートより抜粋

1.この講座の中で印象に残っていることは何ですか?!

先ずは私は自分と自分の関係を構築しよう。
ダイエットの目的:ダイエットとは自分との関係性

2.この講座で何が変わりそうですか?また、変わりましたか?

仕事を始めて太り続けてきたがずっと負の感情を抱えるのが苦手で?
自分をかえりみるのが苦手?と何となく思っていた。
人生最大辛かった出来事の哀しみを、後悔を感じないように
無かったことにするために、ごまかすために
気持ちを抱えきれない気がして、耐えるために食べていたけど
事実は変わらないし、
だんだん哀しみに襲われる時間が増えていた。

結果食べ続けていてもその瞬間は逃れている錯覚は出来るが
いつまでも続けていても悲しみは癒えず涙は止まらないうえに
身体は重くて、無かったことにはならないと気づいた?
受け入れるしかない
向き合うしかない
対処は無い
乗り越えるのではなく共に哀しみと上手く歩む。
今日の講座を受けて
私は自分とのコミュニケーションをうまくとれていなかった?
生きていれば起こる感情を苦悩と思っていたというか
自分と自分の関係性が苦手というか構築できてなくって
主体性がなく依存?していたんだなあって思った

なので、食べたくなった?時には反射的にならない様に
一思考?出来たらいいかな?
自分しか居ないので自分の中で何が起きているか
感情は苦悩では無いという耐性を身につけて避けずに逃げずに
よく自分に向き合ってみようと思う
でもきっと向き合い方も最初は上手くはいかないから
食べるかもしれないけど一気に上手くいかなくても責めないように!
食べたいものを選択する意識を持って
本当の意味で自分で立って丁寧に生きたい
自分との関係性を改善したい。
のが
ダイエットの目的な気がする?

3.さらに知りたいこと、知識を深めたいこと、講師への質問などがありましたらお書きください。

成長には時間がかかると不完全な自分を許す
ありがとうございます。

この受講生は人生の危機に直面していたのだけど、乗り越えようとしている。人生の危機は再選択の時。ここからひとつひとつ積み上げていく。
そのプロセスは「わたしがわたしになる」といっても良いだろう。
どんどんご自身を発揮なさる姿が私には見える。これからもその伴走をさせていただきたい。一緒に清々しい風を感じたいと思っている。