自分は間違っているんじゃないか〜後編〜


感情の取り扱い事例
どんな将来になるか予測ついてるよね?

自分は間違っているんじゃないか…と恐れを感じていた受講生。

自分の核(中心)が曖昧なことが意思決定の弱さに現れていて、それはよく「自信がない」と世間では言われる。しかし一体、自信とはどういったものなのだろう。

「自信」について改めて考えてみよう。
皆が付けたいという「自信」とは、本当に何かができるようになれば付く「自信」だろうか。この右図で言えば、黄色の枠のところのようなイメージかもしれない。やれることが増えるほど自己が強く、大きくなるイメージ。もちろん、やれることが増えることは自分を太くはする。が、それは「できる」ことでセルフを支えたいといった欲求を表していて、ある意味、自己の弱さを示している

 そもそも弱い自己なので、やれない時に、自己を犯す。左図のようなイメージだ。
しかし、やれなかった事と自分の価値とは本来、別に考える。「できないこと」は確かにあるが、自分の本来の価値を脅かすものではないといった感じだ。(右図)
気づかなければならないのは「できない」に侵されない自己がすでに大人のあなたにはあるということだ。子どもの頃のセルフはまだまだふわふわしていて固まっていないので、一番上の図のように、できることが自信に直結してくる。大人にも同様のことはある。ただ、子どもの、まだ形がわからないようなセルフでは既にない。今まで歩んできた道を振り返り、自分にはすでに充分に価値があることに気づく必要があり、そこからさらにセルフを育むべきなんじゃなかろうか。
自信をつけてセルフを確固としたものにしたいといった欲求は学生時代のことで、充分大人になってそんなことを言うのは、大人の覚悟を決めたくない、「まだまだ自分には可能性がある」といった可能性の中で生きたいと言っているようにも聞こえる。

確固としたセルフが自信がある自己であれば、そのセルフの概念(セルフのB、認知)は「私はこう言う人間だ」といった自己概念で、自己概念に人は一貫性を求める。なぜなら一貫性がない自分は不安定だからだ。つまり、一貫した自分を維持するために自己概念(セルフのB)に従って、行為を選択する可能性があるということだ。例え、それが誤った概念だとしてもだ。
つまり、「自信がない自分」も自己概念のひとつで、自信がない人はその自己概念に沿った「自信がない自分」をただ単に選択しているということだったとしたらどうだろう。考えてみてほしい。

「自分は間違っているんじゃないか?」といった疑念が消えない受講生は「自分はいずれ間違いを犯す」といった自己概念を持っている。そんな受講生に「あなたはどんな将来になるか予測ついてるよね。それが現実になる可能性は何パーセントくらいある?」と尋ねると受講生は「90%」と答えた。

「あなたの想像通りになるわよ。ただ10%は変わる可能性がある。10%を広げるにはどうしたらいいかをたくさん考えながら、これから人生を過ごしなさい。救いになるのはひとつだけ。良い人に出会いなさい。良い師匠につきなさい。良い伴侶をもらいなさい。良い人と出会えるかどうかがあなたの分岐点だよ。良い人というのは、あなたにとっては厳しいと思う人かもしれないけど、厳しいことを言ってくれる人を大事になさい。」

受講生は自分の人生はダメになる可能性は90%と予測していた。だから、どうにかしたいといった思いで講座に来ていた。まだ10%残っている。この10%を広げていく必要がある。ただ、幸いにして受講生は良いパートナーも持っていた。そのパートナーの考え方は真っ当で、まともなことを受講生に言い、叱ってくれるようなパートナーだ。

そのパートナーの言葉に耳を傾けなさい。それができたら、なんとかなる。10%の可能性が広がる。そういうパートナーがいることに感謝をなさい。あなたには過ぎた人でしょ。そのパートナーを逃すようだったら、あなたの人生は無いよ。

そう言って受講生を送り出した。「可能性は残っているが、後はない」といった印籠を受講生に渡した。彼にはまだ可能性がある。良いパートナーがいる。4nessコーピングがある。これからも受講生が望む限り、10%の可能性を広げていくお手伝いをやっていきたいと思う。