意地悪な気持ちの根っこは…


感情の取り扱い事例
人は自分に接したように、他者に接する

介護職をしているんですけど、介護をしていると意地悪な気持ちになってしまう時とすごく優しい気持ちになる時があるんです。私にとってこの仕事はまるで滝行のように感じます。

そう話し始めたのは、まだ20代の受講生。意地悪な気持ちになる時の具体例には、利用者の人から「靴を持ってきて」とか、お風呂で「洗髪して」と言われたり、ドライヤーをされるのを待っている姿をみるとイライラする時がある一方で、お世話していてとても優しい気持ちになれて、この仕事は自分に合ってるなぁとも思う。
介護業務は、利用者の自立を援助することでもあるので、自分でできることは自分でやってもらうように働きかけるのですが、例えば自分でドライヤーをやってもらっていると、いじめている気分にもなる。

その違いは一体なんだろう?
という私からの質問に受講生は
「ある利用者さんは、昨日まで自分で出来ていた洗髪や立ち上がりの介助を今日はいちいち求めてきた。それには少しイライラしていた。」といった出来事を話してくれた。

1mmでも高いところを目指してしまうタイプでしょう?
あなたは、可能性があるなら全力で追うべきだ。狙える最高のところを狙って頑張らなければ!と頑張ってきていて、もしそうしていなければ罪悪感さえ感じてしまうタイプ。違う?

受講生は大きく頷き、自分のことを「頑張ってできることを、やれないとは言えないタイプなんです」と答えてくれた。

これが受講生の自己概念(セルフのB)だ。だから実際に、頑張ればやれることなら頑張りたくないとは言わずに頑張ってきた。以下のようなタイプも同様だ。
・今日やれることは今日やる。
・自分でやれることは全て自分でやる。
・成長するためには頑張らなければならない。
「明日やれることは明日やればいい」とは到底思えない。だから、「今日はできない」「今日はやる気になれない」なんて口が裂けても言えない。いつもいつも頑張り続けなければならず、手を休める自分には罪悪感を感じ、「なぜやれないんだ」「努力が足りない」「だからダメなんだ」といつも自分に厳しく当たってしまう

だから、自分でやれることなのに介助を求められてイライラしたのね。「今日はなんとなく気乗りしない」といったことを自分に許してこなかったから、利用者さんのそれも許せなくてイライラした。そして、イライラした自分にイライラして、さらに自分に辛く当り、嫌な気分は増大していった

人は自分を愛した分、人を愛せる。自分を許した分、他者を許せるものだ。つまり、自分に厳しい人は人にも厳しくなる。自分を許せない人は人を許すこともできない。それに私達は、自分に厳しく当たることが自分を成長させることだと思い込んでいるところがある。いや、自分に優しくすると怠けてしまってこれ以上成長できないと恐れているところがあると言ってもいいかもしれない。

本当だろうか?
自分に厳しくしなくても成長している人がいる。冷静に見渡してみると自分に辛く当たらない選択をして幸せに暮らしている人も実際には多い。それどころか、私たちは1mmでも高いところを狙ってヘロヘロになってないだろうか。さらに努力をし続けることから得るものより、努力の代償の方が多くなってないか。もちろん努力は素晴らしいことで、努力が実を結んで今のあなたの成功がある。一方で努力したのに思ったような結果を得れずに「こんなに私は頑張ってるのになぜ?」と淡々とやっていている人を見て妬んでる自分がいないだろうか。
自分に厳しく接して、辛く当たって、一体どれほどの成長をしているのだろう。一度、振り替えてみる必要があるんじゃないだろうか

受講生は
「そういえば…仕事でヘトヘトになって帰ってきてお風呂に入って寝れなかった自分を朝のシャワーの時に毎日のように叱っている自分がいます。のんびりしているように見える妹や母を罵倒していた自分がいました。」と努力の弊害と思われる出来事をいろいろ振り返って話をくれた。

自分に厳しく接してきた受講生はそろそろ自分に優しく接する練習をするタイミングに来ているようだ。

自分に厳しく、努力をやめないやり方は長年トレーニングしてきているのでもう十分。次は優しく接する練習をしましょう自分に厳しくすることも優しくすることも、両方ができるようになって、その時々で必要な方を選べるようになったらいいね

宿題は、自分に優しくする。努力したくない時の自分も許す。疲れてお風呂に入って寝れない日もあることを許してあげましょう。次の講座までに優しく接する練習をしてみてください。慣れないことをするから、いろんな感情が出てくるでしょうから、次回はそれを扱いましょう。

受講生は笑顔で帰っていった。
私達はいつから、自分に厳しく当たることが成長だと思い、自分に優しくすることに罪悪感を覚えるようになったのだろう。のんびり過ごした休日を夜になって、なぜ何もしなかったんだろうと1日を無駄に過ごしてしまったように感じ、自分を責めるのだろう。成長と幸せは同じ土俵で、成長すれば幸せになれると思い込んでいる節はないだろうか。私たちが自分に厳しく接している目的は一体、何なのだろう。
自分に優しくしてもいいんだよ。優しくしたらどうなるかを実験してみてから自分への接し方を選んでもいいんじゃないのかな。