感情の取り扱い事例
それもいいのよ。
受講生は伝えたいことがなかなか言葉にできなかった。
しばらく経って、思い切ったように言ったのが
「私は母が嫌いなんです。」
そう。別に問題ないよ。しかし、言い出すのに時間がかかったのはなぜ?
そして、何が聞きたい?
受講生はやっと言えたとホッとしたような様子だが、「このことを思うと罪悪感に苛まれる」と言い、これで良いのか?本当に?と尋ねてきた。
そうね、私はあなたのお母様のことを知らない。どんな人なのか、どれほど成熟なさっているのかもわからない。いろんな人いるように、いろんなお母さんがいるから。けど、あなたはそう感じているのよね⁈ なら、その気持ちを大切にして良いんじゃないかしら。
安心したように受講生はポツリポツリと幼少期の話をしてくれた。受講生の母はいつも自分のことばかりだったと言う。生活の世話はしてくれたけど、私の感情に共感してくれたり、どんな気持ちかを聞いてくれることは無かった。それは今も同じ。いや、今も同じだから大人の自分から見ることが出来てよくわかるようになった。こういう母が嫌いだったんだと。
あぁ…受講生は愛されたかったんだ。嫌いになってしまうほど母の愛を求めていたんだろう。子どもが母との絆を求めることは自然なことだ。
母性が理想的に描かれる文化の中にいる私たちは、母であれば自分がダメな母親じゃないか、子どもであれば母の態度によって自分がダメだからだといった罪悪感を持ちやすい。講師の私は二人の子どもの母だが、母の立場になってみると「三つ子の魂100まで」は呪いの言葉のようにさえ感じる。この一瞬がこの子の将来にネガティブな影響を与えたら⁈と考えるとただでさえ不慣れな子育てに、さらに緊張を強いられていたように感じる。
事実、自己が脆弱な母親は居る。子どもに依存する母もいる。子どもを自分の延長のように感じる母もいる。親と言っても彼らもまた私たちと同じように不完全なのだ。しかし、そういった母親から受け取ったサインは内面化され、形成されていく自己概念(セルフのB)に強く影響し、大人になってもその自己概念(セルフのB)は今に存在感を放つ。
「母が嫌い」良いじゃない‼︎自分の思いを認めて、受け入れていきましょう。それは母を責めることじゃない。母に原因の全てをなすりつけることでも、母に変わってもらうことを期待することでもない。あなたには自分の思いに正直になれる内面の強さがある。そこを伸ばしていきましょう。
受講生が講座を受講するたびに問題にしていた『何をやっても満たされない感覚』は母との関係性に発端があるのかもしれないし、ないのかもしれない。それは学びを深めていけばいずれわかることだし、そこが問題ではない。
あなたはすでに母とは切り離された大人に充分なっている。課題に向き合うのはあなた自身の責任だ。あなたが望めば人生はいつからだって変えられる。成熟した大人は自分の価値を見出し、自分を成長させていくことができる。この講座はそんなあなたのお役にきっと立つでしょう。