父は’私が理想とする父’になる必要はない。

感情の取り扱い事例
理想の父であって欲しかったけど…

受講生は、子どものまんま大人になったような父が気になっていた。そんな父に病気の母。大丈夫だろうか?と娘として気がかりで仕方なかった。

父に変わってほしいと願うほど、受講生の苦しみは増す
なぜなら、いくら周りが言っても、自分でそう思わなければ人は変わらないから。

人は本当に大切にしている人ほど不具合を起こしてしまう。少し離れた関係や直接影響を受けない関係性であれば冷静に判断することができても、父や母や我が子など近い存在ほど想いが深い分、想いだけが先走ってしまいがちだ。

人間関係は、親族、社内、友人関係の順で関係の影響は気軽になっていく。友人関係は疎遠という形にだんだんとなっていく場合が多い。勤めている会社は辞めることもできるが、生活に直結するので少しややこしくなる。そして、親族。血の繋がりは切れないといった思い込みがある上、親族の動きはダイレクトに自分と関係してくる。

家族といえども、子どもが大きくなってしまえば本来は大人同士の関係だ。

受講生は実家に戻った際、「隣のおじさん」という接し方でお父さんと接するチャレンジをしてみた。

これは男女ストレスコーピングでお話しするひとつの対処法なのだけど、「近い存在(家族)=解りあえる存在」と強く思い込んでいるというか、理想を現実と思っていると夫婦の諍いが絶えなかったりする

もちろん、解りあえるパートナーであればそれに越したことはないが、例えば専業主婦と会社勤めの夫では結婚後、年数がたつほど経験が別物となる。もちろん、根っこの価値観は一緒だとしても、枝葉では違う価値観を身につけていっておかしくない。(枝葉で違う価値観を持つ両親だからこそ、子育てに幅ができると私は思っている。)

そういった場合の対処法として、夫へは「もう一軒、営業先が残っている」と思って帰宅するように。妻に対しては「隣のおじさんが食事をしに来ている」と思って夫を迎えるようにとアドバイスする。

えーーーーーっ!そんな風に?!と思われるかもしれないが、互いの距離が近い分、「自分のことをわかってほしい!」と自分ばかりに心のベクトルが向いて甘えが出てしまう。相手にも感情があり、日々いろんなことが起こっている「人」であることをどこか忘れてしまっているのだから、気持ちの上で距離をとってみるチャレンジには意味がある。そして、その結果をしっかり観察してほしい。あれ?!とびっくりされると思う。

信頼残高がマイナスの場合、時間がかかるケースも多いが、相手がやさしくなる。付き合っていた当初の会話のようにいたわりのある会話になっていく。(相手が暴君な場合はさらに助長するというケースもあるが、それは別の機会に詳しく書く。)

さて、チャレンジした優秀な受講生がどうなったかというと、大きな気づきを得て、メッセージをくれた。

『父は、別にわたしに尊敬されるために生まれたわけじゃない。尊敬できなくても、彼は彼でよい。 尊敬できる父であって欲しかったのは、わたしの願いであり、 父はそれに応える義務は当然ない。 全部、わたしが理想を押し付けていただけでした。 何かがごっそり落ちた気持ちです。 (まぁ、尊敬できる人であって欲しかったけど、それは仕方ないし、彼のせいじゃない、ですねえ)』

素晴らしい気づきじゃないか。受講生は親と対等な大人になった。いや、父よりもうひとつ成熟した大人になったんだ。父を超えた大人になった証。

受講生と時を同じくして私も同様の諦めをしていた。
我が家には高校生の娘がいる。親は「こんな娘になってほしい」という理想を持っている。が、決してそうはならない。私が私の親にとってそうだったように。自分の10代を振り返るとよくわかる。10代なりに自分の考えがあり、それが大人から見たらいくら幼稚なものでも尊重してほしいと願っていたし、尊重されると大事にしてもらっている感があった。大人になればいかに当時の自分が幼かったか恥ずかしくなる時もあるが、当時の自分はそれなりにしっかりしていると思っていた。

だから、諦めたんだ。娘との信頼関係をより深めるためにも、娘は娘と。私(母)が期待する娘になる必要はないと。

立場を変えてみてもよくわかる。私たちは大人になり、自分で生活し、大変なことも乗り越えてきたつもりだが、親から見れば、もっとこうあって欲しかった、こうあって欲しいといった理想が、子どもが例え幾つになってもあるのかもしれない。しかし、私たちは親の理想のように生きてはいない。だが、それなりに考え、工夫をし、より良い人生を歩みたいと日々、生きている。それは娘だろうが、父だろうが、立場がどうだろうが皆、同じなんだ。
仮に相手を理想の人に仕立て上げたい、変えたいといった自分の正しさを脇に置くことが難しいとしたら、それは「相手が理想とする自分」になろうと努力した過去や今があるからかもしれない。

受講生は「理想的な」父になってほしい気持ちは自分のもので、彼の理想の生き方とは違うかもしれない。相容れないものがあることを受けいれ、父をひとりの生生と今を生きている人間として認め、ひとつ成熟した大人になったんだ。

良かった!(ほっ)めでたし、めでたし。

と映画のようには現実はいかない。この話には実は続きがある。
続きはまたいつか。