嫌な気分がなくなるには


感情の取り扱い事例
置いてけぼりの「ぽつん」感

「朝、起きたときの気分でわかるんです。今日は大丈夫!とか、今日はダメ…とか。そして、今日はダメだなという日が来るとずっと潜伏してしまうというか、なかなか浮上できなくなっていくんです。その間は出勤してても仕事が手につきません。」と
受講生は朝、起きた時の気分の影響の話を続けた。

まるで中学生の女の子が朝のTVやネットの占いでその日をアップダウンさせてしまうのと同じように、この受講生は1日の状態をその日の朝の「気分」に主導権を与えている状態だった。

この受講生の場合は1日を朝の気分に左右されているが、他にもいろんなものがある。例えば、勝負の前にカツを食べたり、右足から入るといった縁起担ぎも同じだ。縁起担ぎは本来、以前良い結果が出た行為を繰り返すことで吉兆を押しはかることだが、一方で良い予兆や悪い予兆を気にすることでもある。思わず左足から入ってしまったからダメだといった悪い予兆によってダメになってしまうこともあるわけで、主導権が気分であることに変わりはない

気分にその日の主導権を与えることは、気分に囚われているとも言える。
囚われているとは寝ても覚めてもそのことが気になっている状態だ。このケースの場合は自分に湧いていくる負の思いが頭を離れない。負の気分が気になって気になって結果、その日1日をダメにしてしまっている状態だ。

この「囚われ」へのよくある間違った対処法は、負の気分をなくそうとしては負の気分を考えている自分に気づき、「また考えてしまっていた…」と囚われていた自分を責め、より一層負の気分に囚われていくケースだ。まるで、ダイエットしようと決めた時から異様に食べ物のことが気になるのと同じだ。

こういった「気分」に主導権を渡し、「気分」に1日が作用されることを気分重視と呼ぶことにしよう。では、気分重視ではなくなるためにはどうしたらいいのか

気分重視とは、判断の中心に「気分の良し悪し」がある状態なのだから、判断の中心に「気分」ではない別のものを置く必要がある。効果的なのは「目的」だ。気分重視から目的重視に変わっていくことが大切だ。脳はひとつのことしか考えられない特徴があるから、「目的」と「気分」の両方を同時に重視はできない。

今の時代、気分重視で苦しんでいる人は少なくない。その背景には、「生存」が保障された時代の落とし穴があると私は思っている。
生きることに必死な状態とは、目的重視で目的が「生存」だ。しかし、人類にとって長らく目的だった「生存」がある程度保障された次は「豊かさ」が目的となった。どんな家に住み、どんな車に乗り、どんな仕事についているかといった「わかりやすい豊かさ」だ。ただ、「わかりやすい豊か」を追うだけではどうも幸せには成れないことがわかり始める。すると、「自分らしく生きる」とか、「嫌われてもなお、自分の想いで突き進む」といった自己実現が目的にとって変わり始めた。

ここで迷いが生じているように感じる。今までのやり方でない新しい生き方なので不慣れであること。加えて、明確な目的がある人には、自分らしさや自分の想いがあるからそれでいいが、目的が定まってない場合や大義名分があるような目的を持ってない場合はどうだろう。そこには自分だけが決まってない不安定さというか、「ぽつん」感があるのではないだろうか。既に目的に向かっている人や(実際に決まっているかどうかは別にして)決まっているように見える人には強さを感じる。目的に邁進している様は迷いがなく、ブレない軸を感じるものだ。「それに比べて、私は…。」「どう生きればいいかわからない。」「どこに進むべきかわからない」といった「ぽつん」と置き去りにされてる感が出てくる。それはとても恐ろしいもので、置き去りにされている「ぽつん」感への対処方法のひとつが気分重視ではないかと分析している。この分析についてはいつか詳しくお話しすることにしよう。

目的重視で過ごすといっても、人生のミッションとか生まれた役割といった、そんな大きなことじゃなくていい。例えば、「今日はこの仕事を終わらせる」とか「今日は3キロ走る」とか、「プロセスの終了の成果」にフォーカスをすることが大事だ。「成果」というと、結果が出たことを意味しているように感じるが、ここでの成果はあくまで「プロセスの終了」のことで、「1日のタスクをこなす」ことだ。

余談)私自身、書いてて不思議に感じたが、「タスクをこなす」が昔は良いことのように感じていたが今は不思議と悪い感じがする。これこそ、先ほどの「わかりやすい豊かさを追い求める目的(生産性重視)」から、「自分らしく生きるとか、嫌われてもなお、自分の想いで突き進むといった目的」へと時代が動いたからだろう。


今日の目的、今週の目的を明確にする

1ヶ月や3ヶ月、半年といった中長期の目標や目的を持つことができるならそこから、今週や今日の目標や目的を割りだしていけばいい。
しかし、そういった中長期的な目標がなくても、今日の目的、今週の目標を明確にする。できれば、数字で把握できるものがいい。例えば、資料を最低ひとつ作るとか、資料づくりのために1冊本を読むとか、1週間で10キロ走るとかといった具合に、数字で測れるとやった履歴がわかりやすい。

今週はこれをやる!と決めると、今日はこれ、明日はこれといった具合に、やるべきことが明確になるやるべきことが明確になると、気分が中心に居座るスペースがなくなる。朝、どんよりとした気分で目覚めても、やるべきことを優先させていたら、気分を大切に扱っている暇がない。実際にやってみるとわかるが、やっている間にどんどん自分が乗ってくる

人は意欲があるからやるのではなく、やっているうちに意欲が出てくるものだ。意欲が出てからやろうと思っていると、意欲はずっと出てこないことになる。だから、今週の成果を決め、今日の成果を追う。成果を追っている間に意欲も育っていく。気分なんてどうでもよくなっていく。

しかし、気分重視のやり方でずっときていると、「やるべきことはわかっていても、やはり気分が気になるんです」といったお声をいただくことがある。それはそれでいい。気分が悪いことがあるのは自然なことだから、悪い気分を排除する必要もないし、気分に行動を左右させる必要もない

「今日の私は気分が良くない」と「今日やるべきことをやる」が連動していると、「気分が良くないからやらない」になってしまうが、「今日の私は気分がよくない」と「今日やるべきことをやる」を分けると、「今日の私は気分が良くないが、やるべきことをやる」になる。それでいい。

「気分が良くない」ことがあるのは至って自然なことで、「いつもいつも気分が良い」方が不自然だ。あり得ない。だから、「気分が悪い」を重視したり、「気分が悪い」ことをダメなことのように捉えると、「気分が悪い自分に栄養を与えることになり、かえって気分が悪い自分が育っていく

世の中の風潮とは逆行するようだが、「気分が悪い」今日の自分を、自然な状態だと受け入れ、受け流す。気分を重要視せず、目的を重要視する

受講生には、このような目的重視の2週間を過ごすことを宿題に出した。前日に明日のタスクを書き込み、当日はタスクを終わらせることに注力する。そして1日、目的重視で過ごせたかどうかを100点満点で採点する。(今日は目的重視だったなと思ったら100点とか、ちょっと気分重視なところがあったなと感じたら60点といった具合)その記録を次の講座に持ってくる。

2週間の間にはできた日もあれば、できない日もあるだろう。しかし、この宿題をすることで、今まで気づかなかった自分に気づくはずだ。新しい自分を発見もするだろう。このチャレンジには大きなギフトがもたらされる。はじめの2週間がうまくいかなくても、動き始めた石は必ずだんだんとスピードに乗ってくる。次回の報告が今から楽しみでならない。