私が「私を嫌い」なとき


感情の取り扱い事例【好きになれない…】

受講生の事例と私の息子や娘に伝えたいことが重なったので
今回は『ひよこ豆』と『未処理の感情』の合体版ブログで今年のブログ納めをしたいと思う。

今回は、ここ3ヶ月ほど自分を好きになるプロジェクトを実践していた受講生。
ある瞬間「自分が自分を嫌っていることがはっきりわかった」と涙しながら訴えた。

「自分が嫌い」な根拠を尋ねると、

・若い頃のように情熱を持って仕事に取り組めていない
・自分の利得をどこかで考えてやっている
・結局は「自分のため」ばかり…

などを挙げていた。

それぞれの根拠について言いたいことはあるのだが、それ以上に伝えなければならないことがあった。それは…

自分を嫌いでいい

ということ。

私たちは疑いさえしないほど強固な、そしてさまざまな「思い込み」を持っている。

例えば、
・やるからには情熱を持って取り組まなければならない。
・やると決めたからには最後まで貫かなければならない
・心からやりたいことを見つけなければならない
などもそうだ。

あまりに「普通」すぎてそれが本当であるかどうか怪しむこともせず、そうあるように努力している。
だから、情熱がなくなった状態で何かをやることはダメなことに感じる
やると言い出したら途中でやめれないと脅迫的に感じるから、始めることをしない。たとえば途中で別のことに興味が湧いたから方向転換したとしても、軌道修正とは言えない。「軌道修正だ」なんて口にしたら「途中で止める」と同じぐらいダメな「言い訳」になってしまう
心からやりたいことを見つけなければ成功できない。成功どころかやりたいことが見つからなければ人生がダメになると思い込んでいる。

「自分を好きでなければならない」も同じだ。
「自分を好きじゃない」なんてダメを通り越して、罪のように感じてしまっている人も少なくない。本当は、自分を好きにならなければならないことはない。
嫌いなままでいいんだ。

「私は私のこと、あんまり好きじゃないんだぁ」と口にしよう。
「今日は空がキレイね!」と同じトーンで「私は私のこと、あんまり好きじゃない」と言っていこう。

罪悪感を持つ必要もない。
そう感じているんだから、正直に思いを言葉にしているだけさ。

嫌いなまま、自分をやろう。
それでいい。

受講生は安心したように見えた。

もう隠さなくていいんだ。好きなフリもしなくていい。
自分を嫌いな自分を認めているんだ。自分に嘘はついていない。
堂々としてていい。

2021年も終わろうとしています。この1年も、講師としての私は「今の自分にOKを出す」ことをたくさんの受講生とご一緒しました。思春期の子を持つ母としての私も「日々鍛錬」でした。そんな日々が私の中には雪のようにしんしんと積もっていっています。
鍛錬仲間の受講生も、ここにきてくださっている読者さんも、アイデンティティを確立中の我が子たちも、みーんなありがとう!来る年もよろしくね!!

MerryXmas!そして、良いお年を〜‼︎