キャラメルのような生き方とは


感情の取り扱い事例
自分が溶けて無くなってしまう

いつも自分ばかりが損をする
なぜか、自分がやる羽目になる
プリーズミーといった、自分を差し出す生き方がある。

前提としては良い人でありたい、気に入られる人でありたい、私は役に立つ人間だといったものだ。

受講生は「いつもなぜかそうなる。」と言った。「そうなる」とは、いつも断れずに結局自分が損をする羽目になったり、断ってもすごい罪悪感に襲われたりすることだ。これは、相手においしさを味合わせて自分は溶けてしまう、キャラメルのような存在。自分を差し出す生き方だ。

学生の時もそうだった、社会人になっても、独立してもそう…と過去を振り返りながら受講生は、自分が好意でやったことが無意味だったと感じるばかりか、自分ばかりが割りを食ってる感じがすると言った。
そして、これが今後も繰り返されると想像するとゾッとするとも。

もう繰り返したくないということね。では、あなたがそう言った生き方を選んでやっているとしたら、なぜ、そういう生き方を選んでいるのでしょう?

受講生は最初、「自分だけが選んでいるわけではなく、相手がいることだから…。」と否応なさをアピールしたが、断れば良いことなのに断らないのはなぜ?と尋ねると考え込んだ。

根っこには、親から捨てられたという思いがあり、役立つ存在として生き残りたいという欲求があるのだろう。生き残るには、役立つ存在として立ち回らなければならない、おいしさをどうぞ!と自分をキャラメルのように差し出す必要があると思い込んでいる。

なぜ、断れないのかを考えて2週間後、持ってくることが宿題となった。
断るとどんな嫌な思いが湧き起こるのか、断らないことにはどんなメリットが存在するのか。じっくり考える必要がある。
つまり、この課題をするということが受講生の直面化を促進する。まずは書き出してみることだ。書くことはその行為そのものに効果がある。

2週間後、受講生はどんな気づきを持ってくるだろう。
あなたも今から書き出してみよう。自分を差し出す理由を。