満足しない人々


感情の取り扱い事例
選ぶ力は切り捨てる力

テスト前に「勉強してなーい!」と言う人がいる。勉強していない宣言はどちらに転んでも痛くない。例え、成績が悪くても勉強してなかったから当然で、勉強していればもっと良い成績が取れるといった可能性を残すことができるし、仮に良い成績であれば、勉強していないのにすごい!を手に入れることができる。つまり、成績が良かろうが悪かろうがどっちでも自分を保つことができる。

一方、どちらに転んでもダメな人もいる
例えば、太っていれば「自分はダメだ。痩せたい。痩せれない」と嘆き、仮に頑張って痩せたとして「自分じゃない気がする。痩せて綺麗になったと言われるとやっかみを受けているようで嫌だ」といった具合だ。この場合、太ってる自分もダメだし、痩せてる自分にも納得できないので、どちらにしても自分には満足できない

受講生は、どれだけ仕事をしても認めてもらえないと嘆きながら、認めてくれない会社から離れることもしなかった。どちらも選ばず、満足しない場所に居続けていた

どちらにしても不満が残る中途半端な状態なら、線引きしなければならない
一生懸命仕事はするが認めてくれない会社だと諦め文句は言わない。か、ここまでやって認めてくれない会社であれば、認めてくれる会社に転職するか。
いつも、あなたの人生の選択権はあなたにある
どちらも選べない。選びたくないとなると、一生懸命仕事している風で、認めてくれない悲運な自分で居たいということになる。

あなたはどうしたい?
との私からの質問に受講生はうつむき考えていた。すぐに答える必要はない。よく考えて選ぶといいと伝え、その日の講座は終わりとなった。

あれから随分と日が経ち、久しぶりに講座に顔を出した受講生は開口一番、報告があると言う。聞いてみると、私から「どちらか決めた方がいい」と言われた言葉をずっと考えていたら、会社から部署異動の話が出て、「出来なかったら辞めてもいいや!異動先でやれるだけ頑張ってみよう」と決め、移動した先で目の前の仕事をただただ頑張っていたら、何と上司が認めてくれたと言う。

受講生は話を続けてくれた。
私には「上司はこうあるべき」といった強い思い込みがあったことに気づきました。同期の女性が素直に仕事に取り組み、認められていることに私の存在が霞んでいくようで…やっかんでいたんだと思います。いつの間にか認められることがその会社にいる目的にすり替わり、認められるために「仕事がどうだ」とか、「あの人がこう言ってる」とか、「上司のくせにそれじゃダメだ」とかそんなことばかりに逃げていたように感じます。それに私は役職がつけば自分が自分らしい仕事できるとも思い込んでいたようです。そんなんじゃないんですよね。自分が今やれることをやればいいんですよね。役職なんて関係ない。それがよくわかったんです。

素直で力がある受講生はずっと考えてくれていたようで、私からの他のアドバイスも実践していてくれた。すると、母親でもある受講生にはプライベートでも事態が好転していったと言う。
子ども達との関係もよくなり、プライベートの活動もどんどん充実していった話もしてくれた。話ぶりからは、「自分はどんな風に生きたいか」が実践を通してよくわかったと言っているように私には感じた。受講生は彼女の持ち味を発揮していた!

講座の時間のことを考え続け、実践し、果実を得ていることが私はとても嬉しかった。頭だけで考えて実践しない人は少なくない。本人が選んでいる意識があれば、それも良いと思っている。が、この受講生は自ら選んだ。辞める覚悟を持って一生懸命取り組んでみた結果、本来求めていた認められることを手に入れる。

選ぶことは選んだもの以外を捨てることだから力が要る。何を選び、それを手に入れても満足できない人は選んだもの以外の可能性も切り捨てずに持ち続けている。

受講生は「わがままで幼稚だった」と当時の自分を振り返って話す。だから、そんな自分を忍耐強く関わり、投げ出さなかった会社のみんなに恩返しがしたいとも言っていた。

見える景色は山登りと一緒だなぁといつも思う。山裾を歩いて見えている景色と、中腹まで登って見える景色は違う。中腹まで登ると山裾を登ってきている人もよく見える。そっちに行ったら危ないとか、こっちの方がいいとか。それはまるで先を歩んでいる上司や上役が部下を見て感じることと同じだ。会わない間に受講生は山を随分登ったようだ。だから、当時の裾野を歩く自分を見ることができる。もっと登れば、今の位置からは見えない更なる景色が見えるはずだ。

次に報告に来てくれる日を私は今から心待ちにしている。