信頼おける人と出会うには


感情の取り扱い事例
あなたがそう言うなら…

4nessコーピングでは、自己概念が現実の8割を創っていると考える。自分が自分をどういう人だと思っているかが鍵で、それが全ての出来事を色付けている

自己概念が現実の8割を作っているのなら、自己概念が変われば現実は変わっていく。私の過去や今を含め、このことを意識するほど受講生にも多くの変化が起こっていく。しかしやはり、目に見えない「心」を扱っている以上、あくまでも仮説の域を出ない。だから、講座で私は「そうだとしたら⁈で考えてみよう」といった言葉を使う。

実態のない心を扱っている講座では、私は「こうじゃないのかな⁈」「この心理学者はこういう言い方をしている」「どう感じる?」といった話をしながら進める。すると受講生が「ちょっと違うような…」とか「ぴったりきます」といった返答をくれ、一緒に心の在りかを探っていくような時間を過ごす。その一方で、目に見えないはずの「心」なのにハッキリと手に取るようにわかって、断言するときも当然ある。

ある受講生が「先生がそうおっしゃるなら、そうなんだろうという気がしてきました」と言った。それで腑に落ちるなら、それでいいと思う。仮に私に気遣っての返答であれば、また同じ問題がリバイバルしてくるものだ。それに、私にも経験がある。「この人がそう言うのならそうなんだろう」と決め、前に進むといったことだ。尊敬していてその道に詳しい人のアドバイスが、今の自分には理解できないといったことも多々ある。それは何も目に見えない「心」のことに限ったことではない。自分が知らない分野や専門としていないモノは「そうなんだろう」と専門家の意見に従う。これは決して悪いことではない。私たちは日々、選択と決断を繰り返している。自分が選択し決断した生き方しか今まで経験してきてないのだから、それ以外は知らない世界といっても過言ではないだろう。だから、知らない世界のことをその道の専門家に尋ねるのは自然なことで、専門家の意見なら鵜呑みにしているかというとそうでもなく、この人の意見なら聞いてみようとか信頼できるとか、実は自分で選んで聞いているものだ。

私にも「この先生がおっしゃるならそうなのだろう」と、そこはもう問題にせず、先に進んだ経験がいくつもある。こういった決断を『安易』と取る人もいるかもしれない。そういう人はもしかしたら、信頼できる人が周りにいなかったのではないだろうか。信頼がおける人が身近にいるか、いないかは人生を大きく分ける。なぜなら私たちには日々、考えてもわからない問題は山積みで、ある程度で区切りをつけて、自分が取り扱えるところや、やれば結果が明確に出る部分に注力すべきなのに自分の理解しか頼れるところがないとなれば、あまりにも時間がかかりすぎる。それに、「心」といった目には見えないがとても大切な部分は尚さらで、「真に受ける」わけでもなく、「きっとそうなんだろう」と思える信頼できる人と繋がっていることは大切だ。例えば「あなたには力がある」とか「きっと大丈夫」と自分の潜在的な力を信頼してくれる人との信頼関係を『絆』と呼ぶと私は思っている。そして、相手への信頼は、その相手を選ぶ自分への信頼から生まれ、信頼できる相手を選べたという実感は自分への信頼を深めていく

そういった信頼おける人に出会えてないとすれば、そこにはふたつの可能性がある。信頼おける人が本当に周りにいなかったか、信頼おける人に出会っているのに、信頼してこなかったか後者の場合、実は「自分には信頼できる人はいない、人は信頼できない」といった歪んだ自己概念を持っている可能性がある。もしそのような自己概念を持っていたら、どんなに信頼できる人がいたとしても気づけない。それに、信頼してもらえなかった人はいずれ離れていくだろう。
歪んだ自己概念が原因で信頼おける人と出会ってない場合、「信頼してみる」といったチャレンジが必要となる。しかし、今まで信頼することを避けてきた人には、信頼できる人とそうでない人を見分ける力がない。だからチャレンジと言うと、むやみやたらに信頼しようとして、信頼してはいけない人を信頼してしまって「やはり自分には信頼できる人がいない」と歪んだ自己概念を強化してしまいかねない。ただ、やってみないことには力がつかないのも事実なので、人を信頼することに自信がない人は、信頼する期間や部分を決めてチャレンジすることをお勧めす。例えば「3ヶ月だけ信頼してみる」とか、「この部分においては信頼してみる」といった具合だ。そもそも信頼することに不慣れだから日々、疑いの気持ちは消えないだろうが、それはそれでいい。信頼する練習なのだから。大きな決断はせず、その人と自分の心模様をよくよく観察し、結果を見てみることが大切になる。練習を重ねるうちに、信頼する効用と信頼していい人が段々とわかってくる
それに「人を信頼する」と言ったら、「その人を丸ごと信じること」と思い込んでいる人もいるが、そうじゃない。事実、私は私をすごく信頼しているが、特に「忘れ物」においては全く信頼していない。どれだけ確認してもおっちょこちょいは私の中から消えないので、大切な時ほど忘れ物などしないことにおいて信頼できる人に頼るようにしている。

受講生の発言、「先生がそうおっしゃるなら、そうなんだろうという気がしてきました」に話を戻すと、「この私が言うのだから絶対だ」と言ってるのではなく、あなたが信頼できる人がそう言うなら信頼してもいいんじゃないかとシンプルに思うのだ。世の中にはエビデンスが取れないものも多い。エビデンスが取れていたのに時が経って、全然違った!といったことさえ多々ある。まるで暗い洞窟のような、どこまで行っても不確実な中を手探りして進むのが人生なのかもしれない。
となれば、あなたがこの人!と思えた人なら、足元を照らすランプになってもらってもいいんじゃないか。人生は暗い中をいかに自分だけで進めたかを競うものでもないし、例え信頼できると思った人が間違っていたとしても、自分が選んだことには諦めがつくものだ。
プロスポーツ選手にメンタルコーチがつくのは当たり前のことになったが、普通に「生きる」ことに対してもメンタルをサポートしてくれる人がいても損はないと思う。そして、これからどんどんそういう時代になっていくように感じている。
あなたの人生にすでに信頼できる人が登場しているなら、大切にしよう。出会えたことに感謝しよう。出会えた自分を労おう。
あなたの人生にまだ深く信頼できる人が登場していないなら、早く探すべきだ。人生が格段に軽くなる。本当にあなたがやりたいことにどんどんエネルギーを注げるようになる。それに、人とのそういった繋がりは必ずあなたの人生をより一層豊かにする