私はいずれ嫌われる 後編


感情の取り扱い事例
なぜ、過去と同じように生きようとするのだろう

人には相性がある。意識的な好き嫌いの線引きはあるものの、同じことをされても嫌だと感じる人もいれば、どうも思わない人もいて、やはり相性ってあるなぁ…と感じる。


相性が良くない人とは距離を置くのがベスト
だ。なるべく関わらないようにする。ただ、親子や職場など、状況的にそれが叶わない人もいる。そういった場合は逆に距離を詰めるという手がある。どんどん話し、どんどん接する。嫌だろうし、もしかしたら怖いかもしれないけど密に接してみる。すると相手が考えていることがよくわかるようになる。共感できるかどうかは別として、相手が考えていることが理解できるようになると、嫌いが薄らいでいく。
例えば、敬遠されているのに気づかない人がいるが、そういう人が段々と可愛いく思えてくるのは、こちらの気持ちなど御構い無しにどんどん接してくるからだろう。深く付き合えば、大概の人は良い人なものだ。仮に良い人でなかったとしても、それぞれの立場でそれぞれに一生懸命にやっているのは伝わってくる。

「私はいずれ嫌われる」といった自己概念を持っている受講生は「私はいずれ嫌われる」と思っているからこそ、人と距離を出来るだけ取るようにして生きてきた。

そんな受講生が言った「ゆかり先生だって、仕事だから私と付き合っているんじゃないか…と疑ってしまう」の一言は、自己概念(セルフのB)は現実に投影されることを証明するかのようだった。

受講生のような言葉を言われた方が、「人と条件付きで付き合ってるなんて…その程度の人間だと思われているんだ」と考えれば、普通の人なら、がっかりしてその人から距離を置くだろう。そうやって自分が発した一言が人を遠ざけたのに、言った本人は「やっぱり、私はいずれ嫌われるんだ」と自己概念を強化する。

なんて馬鹿らしいのだろう。自己概念どおりになるよう本人が仕向けて、自己概念どおりになったことに本人が落胆するなんて。だから、「あなたが思い込んできたままの自分で生きたいの?本当にそのままでいいの?」と感じてしまうし、そう感じれば実際、受講生自身に直接問いている。

きっと、そうじゃないはずだ。傷つきを回避したいと願うほど、心から欲しているはずなのに…。

私があなたと付き合っているのは、仕事だから仕方ないといった風に見えるのね?と尋ねると受講生は幼稚園の頃、いじめにあった話をしてくれていた。

そうね。小さい頃は意味など分からず、また相手がどう思うのかなどもよくわからず、びっくりするような言葉を口にしたりするから。辛かったでしょうね。大人になった今、冷静に振り返れっても、あなたにいじめられる理由はなかっただろうし、いじめている側もやっていることの意味を理解してなかった可能性は高い。それが頭では理解できるのに…

人はなぜ過去と同じように生きようとするのだろう。

もう子どもの頃とは違う。大人になった。自立もした。自分の友人は自分で選べるし、一人でいることも選べることができる。
あの頃のように生きなくていいんだよ。極端な話をすれば、私たちは昨日の自分とも違うんだ。昨日という1日を経験をした私は昨日の私より一歩進んだ私のはずだ。昨日と同じことさえ繰り返す必要はないんだ。ましてや、何年も前のことや幼少期のことは尚更じゃないか。あの頃の自分を手放してないのは、あなただよ。

涙が止まらない受講生は頷くのが精一杯だった。

もちろん、人との繋がりだけが幸せなのも危険だ。自分の幸せを誰かに一任してしまうのは幸せの依存度が高い。その誰かが何処かに行ってしまったら、幸せそのものを失う可能性だってある。だけど、あなたの場合は一人の時間の幸せを味わうことは散々やってきた。次は人との繋がりにも喜びや幸せを感じてもいいんじゃないのかな。そう感じたい人やそう感じれる人だけで構わないから。

泣きながら「じゃぁ、パートナーは出来ますか?」と尋ねてきたのには、そっちー?!と叫んでしまった。

私は占い師じゃないからそれは分からないけど、このままでいいんだ!私のままでいいんだ!と思えるベストパートナーに出会えたらいいね。そんな出会いを楽しみにしながら、傷つきを回避するための自己概念は手放し、人との付き合い方を学び、しっかりトレーニングしていきましょう!

「私はいずれ嫌われる」はずっと思ってきたことだから、ちょくちょく顔を出すだろうけど、それも自然なこと。そんな時は「本当?」と自分に尋ねてみよう。その返事は「そうじゃないかも…」ぐらいで十分だから。