「平気なフリ」


感情の取り扱い事例
「平気なフリ」する自分は弱いのか…

受講生は「平気なフリ」という言葉に身体が震えるほど反応していました。なぜ、そんなにも「平気なフリ」に反応するのかを深めていくと、小学校の時、いじめられても「平気なフリ」をしていた自分がいたことを語ってくれたのです。

大人は「平気なフリ」をすることがあります。悲しかったり、憤っていたり、ドキドキしているなど、自分の感情を悟られないように表通りはいつも通り振る舞うといった平静をしばしば装います。しかし、自ら選択した「平気なフリ」とそれしか選択できなかった「平気なフリ」とは少し違います

これは「NOと言えない」と「NOと言わない」の違いと似ています。例えば、仕事では「NOと言わない」ことにはメリットがあります。「NOと言わない」ことで多くの仕事に触れ、多くの経験を踏み、仕事の幅が広がったり、新しい知識を得ることができます。
人は誰しも一度断られると次に依頼する際に二の足を踏みます。それは上司や顧客も同様なのです。だから、仕事が出来る出来ないといったことも含めて、快く引き受けてくれる人を選んで仕事を依頼します。断らないことは上司や顧客からの信頼を得る最初の一歩となりやすいのです。
しかし、「信頼されたり、頼りにされる」のと「押し付けられる」ことはやはり違います。それは「NO」と言う必要がある時にキチンと「NO」言えるか言えないかの違いです。「頼りにされること」に「自分の存在価値」を感じて、キャパーオーバーになってしまう人が時々いますが、仕事のクオリティが下がってしまったり、期限が守れなくなると信頼を失ってしまうので、求めていた存在価値の確認とは逆効果となってしまいます。それどころか、『自身の存在価値の確認』を欲しているとそこに付け入れられてしまうことだってあるのです。

断ろうとしたのに断りきれなかった人は押し付けられた感を持ちやすいです。受講生は小学校の頃、ある役員を押し付けられ、断ったものの結局は押し切られ、引き受けてしまいました。その時、いじめられているとも感じたが「平気なフリ」をしたと話してくれました。ここからは想像ですが、そんな「平気なフリ」をする自分を頼りなく、惨めに感じたんじゃないでしょうか。「平気なフリ=弱い、惨めな自分」が固定されてしまったのかもしれないです。

大人だって、本当の思いを隠し「平気なフリ」をしてしのいでいる場合は多いのですが、周りの情緒の安定を第一に考え、自分の感情を後回しにしてしまう人は「平気なフリ」をして自分らしく強く生きることを避けようとします。しかし、周りの人全員の情緒の安定などあり得ないわけですから、そういった人には自分らしく力強く生きる日はいつまでも訪れないのです。

「平気なフリ」をした小学生の受講生は、平気なフリをする度に惨めな自分、弱い自分、情けない自分、ダメな自分を感じ、強化し、さらに「平気なフリ」をしている惨めな自分が周りにバレないように気を使っていたのではないでしょうか。クラスの友人だけでなく、知ってしまったら心配するであろう家族にも。だとしたら、とても辛かったはずです。そして、大人になった今でもそう感じ続けていた。「平気なフリ」をした子ども時代からずっと。だとすると確かに「平気なフリ」という言葉に身体が震えるほど反応してしまうはずです。


受講生は4nessコーピング講座のマスター講座で幼少期の自分を癒すワークに取り組みました。私たちは自分で自分を癒すことができます。

目の前の椅子に小学生の自分が座っているように想像してもらい、「平気なフリ」をして頑張っている子どもの自分と対面するのです。そして、間違った思い込みを持たないように子どもの自分と話をしてもらいました。平気なフリをしながら必死に頑張って学校に行っている子どもの自分は健気で、決して弱い存在じゃない。受講生は子どもの自分と対面し、しっかりと腹に落ちたのではないでしょうか。涙していました。

受講生は「平気なフリ」をして頑張っている小学生の自分と再会することで、「平気なフリ=弱い、惨めな自分」ではなく、「平気なフリ=よく頑張っている強い自分」と認知が書き換わったのでしょう。

3日後、講座に現れた受講生は、周りの受講生が話題にするほど落ち着いていて、地に足つけてしっかり生きている太さがありました。

人は一度先入観を持ってしまうと、そのイメージを強化する情報ばかりに注目し、逆に先入観を否定するような情報は無意識的に避けてしまいがちです。これを心理学用語で認知バイアスというのですが、自分が信じていることを裏付ける情報だけをキャッチし、不都合な情報を無視する傾向のことを表します。例えば同窓会に行くと、同じ場所で同じ時間を過ごしたはずなのに、同級生の過去と自分の過去が違っていたりするのはそのためです。私たちが思い込んでいることを強化する情報ばかりを選んで持ち続ける傾向があるのです。

受講生は認知バイアスがかかっていて、子どもの頃思い込んだ「弱い自分」を強化するために「平気なフリ」に対する小学校の思い出を手放さずにいたのかもしれません。ただ、実際に小学生の頃の自分に会ってみると「平気なフリ」をしている自分は決して情けない自分ではなかったことがわかり、自己肯定感が急激に高まったのかもしれません。いや、本来の自分を取り戻したと書いたほうがいいかもしれません。
よく『今と未来しか変えられない』と言いますが、過去も変えることができるのです。