コミュニケーションがうまくできない


感情の取り扱い事例
コミュニケーションがうまくいかない

私の主張は正しい!と思いながら、相手の意向に沿っていない時に人はバツの悪さを感じる感じる必要もないとわかっていても居心地が悪い

例えば、日本では残業を出来るだけしない方向にシフトしていっている。時間外労働の限度に関する基準によると1ヶ月45時間、1年で360時間などと示されている。1日、2時間程度の残業が限度となるのだろう。

誤解を恐れず書くが、仕事が趣味みたいな私にとって仕事の時間を決められることは良い迷惑となる。どうしても完了させたい仕事があるにも関わらず、時間だから!と言われると困る。私にとっては完了させなければ、それこそストレスとなってしまうから。

ただ、そんな私の部下や同僚が退社しにくいと思っているのであれば、それは大きなコニュニケーション障害が起こっていると言っていい。私は、自分が仕事を完了させたいから残っているわけで、そこに付き合ってほしいなんてこれっぽっちも思っていない。
ただ、チームでやっている仕事となれば、どうだろう。私はこれをやるからあなたはこれをやってほしいといった仕事があって期限が迫っているのに、頑張っている私をよそ目に仕事を残してとっとと帰ってしまっては、「よく帰れるわね!」と怒りが湧いてくるかもしれない。しかし、これもコミュニケーション障害が起こっていると言っていい。既に仕事の見通しがついているかもしれないし、本人にとって大切な別の用事があるのかもしれないのに、その大切な話を共有してないのだから。

この受講生は土日祝日を潰してまで頑張っている同じチームの同僚をよそ目に土日は弊社の講座を受講しに来ていて、それを申し訳ないと思いながらも、今の自分にとっては自分の感情の取り扱いを学ぶ方が大切だと感じていて、大きな気がかりになっていた。

その気持ち、よくわかる。簡単な例えで言えば、散々仕事して歩き疲れていてやっと電車の優先席に座った時、ご老人が乗ってこられても申し訳ないな…と思いながらも席を譲らず座っている状態と同じだ。心の中で「ごめんなさい。今日は勘弁して!もう立てない。。。」と懺悔しているが立って席を譲る力はないし、「若いのに…」と思われてるんじゃないか?と考えると、せっかく座ってホッとしたはずなのに居心地が悪い。

よくある事例として書かせてもらったが、これも小さなコミュニケーション障害と言える。よく知っているご老人でコミュニケーションが取れる状態であれば「ごめんなさい。席を譲りたいんですが、今日はヘトヘトで。。。3つ目の駅までですから、このまま座らせてください。」と伝えることができる。そう伝えることができたらどんなに楽だろう。理由を聞いた先方だって「そんなに疲れているならお気遣いなく」と快諾してくれるはずだ。

気がかりを抱えたまま受講している受講生に「あなたにとってコミュニケーションが取れているという状態はどんな状態?」と質問すると「互いに気持ちが通じ合う状態」と答えてくれた。

あぁ…『コミュニケーションが取れている状態』が「互いに心が通じ合う状態」だとすると、それは常にコミュニケーションが取れないと悩まなければならなくなってしまう

気持ちが通じ合う人はたくさんいるのだろうか?どの程度の話かにもよるだろうが、気持ちが通じ合うことってそうそうないんじゃないのかな。気持ちが通じ合うからと結婚した人たちの多くが、この人じゃなかったとおもった瞬間など一度もなかったとは言わないと思う。気持ちが通じ合うことは滅多にいないからこそ、そういう人と出会った時は嬉しいし、大切にしたいと思うんじゃないのかな。それに、いろいろ考えてばかりで自分の気持ちを伝えず、相手の気持ちを聞くことがなければ気持ちが通じ合うスタートラインにも立てない。

『コミュニケーション』の語源は「コミュニス」、共有するだ。互いの意向を共有することが目的で、コミュニケーションとは心が通じ合うことではない。平たくいうと、「私はAをしたい。あなたはBをしたいのね。」と互いの意向を共有できたらコミュニケーションが出来ていると言っていいのかもしれない。少なくとも、「きっとこう思っているだろう」と相手の態度で気持ちを探ることではない

受講生は同僚の態度から、自分が休日出勤していないことを責められているように感じていた。これでは完全にコミュニケーション障害を起こしている。

弊社にはビジネスコーピング講座という講座が存在する。4nessコーピングでは基本、感情の取り扱いを学ぶのだけど、ビジネス講座が存在しうるのは、感情を抜きにしたビジネスは成り立たないし、社内の人間関係に気を取られて、周りの人の感情を探ることにエネルギーを奪われていては、本業に集中できなくなってしまい、結果クオリティが下がってしまうからだ。

社内の人間関係は仕事のクオリティに想像以上に影響する。仕事ができる人を思い返していただくとよくわかる。人間関係をスマートにやる過ごす人や、目的に向かって強く団結できているチームはいい仕事をする。そのためにはコミュニケーションが必須だ。気持ちが通じ合えるというより、自分は何をしたくて、相手が何をしたいのか双方向に伝え合い、理解し、その場の目的合わせてその折り合いをつけていくことだ。

職場の同僚や部下、上司との関係にとどまらず、夫婦や親子、友人関係といったプライベートな場も同様だ。

それに、相手が望むことに応えることがコミュニケーションではない。
「お互い様」という言葉があるが、それが成熟した大人の付き合い
というものじゃないのかな。

受講生は以下の3つを伝えることにした。
✔︎相手の意向を理解していること、
✔︎そして今の自分の意向、
✔︎このように折り合いをつけたいと考えていること。

自分でできる範囲はここまで。相手がその折り合いに納得するかどうかは相手の範囲のことだ。そして、仮に納得できないとなれば、さらに折り合いをつけていくだけのこと。

いつもいつも自分の意向ばかりが通るわけじゃないし、相手の意向ばかりを優先する必要もない。「借りを作る」時もあれば、「この借りはいつか返してもらうよ!」という時もあって、生きていればいろんなことがあるから「持ちつ持たれつ」だろう。
自己主張をする際に正しさを振りかざす必要もない。正しさは凶器になってしまう。ビジネスのように目的が明確なものは判断基準もまだ明確だが、プライベートとなると判断基準は非常に曖昧となる。なぜ好きなのかと聞かれても「好きなものは好き」と言葉で伝えられないこともあるし、言葉で説明できないからダメなわけでもない。その「好き」の部分をわかりあえればそれはかなり嬉しいが、わかりあう必要も実はない。私が「好き」なように、相手にも「好き」なことがあり、理由は別にしてその感情は同じなんだから。大切なのは折り合いをどこでつけるかだけだ。

以前、使った食器を洗うのがとても嫌で、あまりにも嫌だから鼻歌を歌いながら洗っているという女性の受講生がいた。旦那様は鼻歌を歌いながら食器を洗う妻を見て、よほど食器洗いが好きなんだろうと思っていたはずだ。そこで、妻は夫に食器を洗うのは本当は嫌いだと伝えてみた。すると、夫も嫌だという。そこで、日替わり交代交代で食器を洗うことにしたとのこと。折り合いをつけるとはこういったシンプルなこと。
折り合いのポイントは互いに我慢しすぎないこと、やってみてダメだったら途中で変えること

まずは自分の思いを伝え、相手の思いを聞くことがスタート。話をしてみるとよくわかるが、なんと世の中には悪い人がいないことか。映画のように悪人とヒーローが明確なら生きやすいのに…と思うほど、それぞれに事情があって、それぞれ精一杯考えて日々、選択している。