感情の取り扱い事例
最近の事例のちょっとしたまとめ
ここ最近の感情の取り扱い事例は「やる気がわかない」「意欲的になれない」だった。
世間では「意欲がわかない」「意欲的になれない」原因を「本当にやりたいことが見つかっていない」からだと思われているが、私はそれだけだとは思わない。「本当にやりたいことが見つからない」にもトリックがあってそこに潜む感情がある。
以前ブログにも書いたが、「本当にやりたいこと」には罠がある。
「本当にやりたいことをやろう!」という風潮があり、成功するためには「本当にやりたいことをやるべきだ」といった本も多く出回っていて、仮にうまくいってないならそれはまるで「本当にやりたいことをやってないからだ」と解釈されているよう。本当に自分がやりたいことは机上で考えればわかることなんだろうか?「やろう!」と決めたとしてもやり始めなければ当然、その気は失せていく。脳科学の研究からもやる気は少しでも動くことでスイッチが入っていくので、ダラダラしていたらいつまでたってもやる気が出ないことがわかっている。
『「本当に」やりたいことじゃなかった』の効用
「本当にやりたくて始める」のに「そんなにやりたいものじゃない」と
自分に言い聞かせて始めてみたり、やっている途中で「やはり違う」と思うことには効用がある。
それは、本当にやりたくてやれなかったという事実やショックを回避でき、やれない、力不足の自分に直面化することを避けることができるから。簡単に言えば、「やれば出来る」といった可能性の世界の中で生き続けようとしていて「本気でやれば私は出来る」といった状態から出ないように工夫していると言える。そうしているうちに、本当にやりたいことがわからないという世界に入り込んでいってしまう。
現に、以下のようなことが起こっている。
✔︎やりたいことだとやり始めたにも関わらず、途中で気持ちが萎えていく。本当にやりたかったことではなかったのかも…といつも思う。
✔︎本当にやりたいことってわからない
✔︎やりたいと思っていたけど、準備しなきゃと思っているうちにどんどんやりたくなくなっていく
やる気が起きないのは、本当にやりたいことが見つからないからではない。がんばったのにダメだった経験があったり、せっかくうまくいっていたのに自分以外の理由で突然、諦めざる得ないことになってしまったり、本気でやって結果を残せない自分の今の実力を見せ付けられることに耐えれないと深層心理で考えていたり、努力することが無駄になることを回避するため全力を出さないモードで人生を走ろうとすることで自己防衛しているといった深層心理があるからだ。
だから、4nessコーピング講座ではやりたいことではなく、今やれる(can)こと、やるべきこと(must)を全力でやることに注力するよう指導している。
やる気が起きない人は以下のようなミスを犯してしまっている。
例えば、
✔︎仕事では、やる気が起きないのは本当にやりたいことじゃないからだと転職を繰り返してみるが、どこに務めてもココじゃなかった…と自分の天職に出会えない。
✔︎頑張っていたのに何故か肝心な時に「チャレンジできない状況」を選択し、結果が出ないようなに仕向けてしまうといった無意識な反抗を繰り返している。
✔︎本来、自分とは関係のない人の行動に対して、異様にイライラしたり、また好意的に絡んでいったりして「良かれ」といった思いやりだと正当化してやる気を出しているが、「放っておく」ということを出来なくして、自分の思うように相手の気持ちを支配しようとし当然、誰の心も支配することはできないので、「やる気が起きない」といった虚しさを味わうことを繰り返している。
✔︎やればできると言われてきたが、やって出来なかったという結果を目の当たりにすることを避けるために、やらない方を無意識的に選んでいる。
一方、やる気を行動に移している、結果を残している人たちは
✔︎結果はともかく、手をつけてみないことにはわからないと行動を開始することにフォーカスし、小さなことでもやり始めることに力を注いでいる。
✔︎何事も最初からうまくいくわけないと失敗を恐れる自分をなだめながら、今の自分がやれることにちょっとでも手をつけてみることに注力している。
✔︎現時点の力を知らなければゴールへの道のりがわからないと、一発合格などといった華やかさを狙わずに取り急ぎ、資格試験などを受けてみて、今の実力に直面化するようにしている。
つまり、やる気が起きないといった人にとっての課題は、やる気を起こすことでも、本当にやりたいことを見つけることでもなく、実際に手をつけるといった1アクションを繰り返しさせることであり、結果がどうであろうと自分の価値とは連動しないことを体感したり、無駄を回避するために全力を発揮せずに生きることがどれだけ無駄なことなのかを腹に落とすことなのだ。
つまり、大人になっても親のように育てる人が要る。例えば仕事でも技術に限らず、生活や心の部分の育成が必要で、昔の日本のプロを育成するそのほとんどがそうであったように徒弟制度のような仕組みが必要だと感じている。徒弟制度と聞くと良い印象を持たない人もいるかもしれないが、プロを育てるためにはテクニックだけではなく人が育つ必要がある。そのためには、信頼できる人(徒弟制度では親方や師匠)との約束が大切で、約束したからにはやらなければならないといった圧がありつつも、結果がダメでも切られることのない安心感の元に少しづつ歪んだ認知を正していくことが大事なのだ。
何も仕事に限ったことではない。「自己(セルフ)」を育てることも同様だと考える。
アメリカの心理療法家、ジェームス・ホリス博士は「吟味を得ていない大人のパーソナリティは、幼児期のトラウマに由来する。子ども時代の体験が、世の中におけるその子の役割を決めるのである。子ども時代の傷つき体験から出発するので大人のパーソナリティは一連の選択というより初期体験と人生のトラウマに対する反射的な反応以上のものでなくなる」と言っている。
つまり、人は生まれ育った家族や環境で生存していくために後天的に身につけてきたルールを全てだと思い込んで日々歩んでいる。そうであると仮定するなら、大人になった自分のパーソナリティを吟味する必要があり、「新たに自分を育てる」といった再生の試みが必要で、そのためには十分な知識と経験を踏まえた信頼できる師匠の元でのトレーニングが大事だ。
そんなことは十分大人になった私たちは言われなくてもわかっていることだろう。ただ、自分の枠から出ることを真に恐れている場合、信頼できる師匠に出会ったとしても、いろんな理由を持ってきて、その人から離れることを無意識的に選択しようとするかもしれない。幼少期から作り上げてきたアイデンティティを再生することはそれ程までに鍛錬が必要だが決して変えれないのではなく、変えることはできると私は日々の講座の中で実感している。