見てみて症候群の人


感情の取り扱い事例
【不快な思いをすることで面倒をみてもらいたい】

例えば、
・SNSで「いいね」の数が気になる
・断れずにちょっといい人のふりをしてしまう
・周りの人に本音を伝えられない
・人前だと頑張り過ぎてしまう

といったことは誰しもが感じたことがあることだ。

私を見て!私を大切に扱って!といった欲求は多かれ少なかれ誰もが持っている。しかし、この欲求が満たされないと自分が存在の確認ができないばかりか、孤独感を深め、自分がダメだからだといった思いを深めてしまう人がいる。「見てみて症候群」とでも言おうか。


今回の受講生は、人との関係にいつも不快感を感じていた。
良好な関係が保てないし、自分から人間関係を切ってしまうという。

なるほど。受講生は不快な思いをすれば、面倒を見てもらえると思っていて、そうやってでも人の注目を得ていたいからよくなろうとしないのだ。

「自分から人との関係性を切る」ということには、「これ以上傷つきたくない」という場合もあれば、「本当の自分と向き合う直面化を避けている」場合もある。ただ、どちらの目的にしろ、人との関係性を切るのだから、より孤独を感じ、孤独になる自分はきっとダメだからだろうと言った不快感を強め、誰かにかまってもらおうとしていて、負のサイクルを回し続けているようだった。

上記のことをうたえた上で、
「そういう目的でなさってるんですね。
良い方法をなさってるんじゃないですか。
あなたは見て欲しんだよね。」

そう指摘すると、受講生は「そう。見てほしいんです」とあっさりと受け入れた。受け入れた受講生はどこか安堵しているように見えた。

OK!見てほしいといった思いは自然であること。
そのために不快を作り出す必要はないことをつたえ、

「大丈夫。あなたが回復なさっても、必要があれば私はお手伝いします。
安心して、人との関係性を変えていきましょう。」

と言うと、受講生はうっすら涙を浮かべて深くうなづいた。

どんなに不可解な態度や言動にも、必ず本当の理由や目的がある。
そこに気づけば、人は変わっていく。