頑張っているのにうまくいかない 後編


感情の取り扱い事例
あなたはどう生きたいの?

頑張っているのにうまくいかない』といった場所が最も安全だと思い込み、そこから出ないように生きていた受講生への私の宿題は、あなたはどう生きたい?だった。(前編

2週間後に現れた受講生は普段と変わらない様子。この2週間どうだったか尋ねると、友人の話をしてきた。

強い主張を持っている友人が、友人間での会話でいつも喧嘩腰になるらしく、友人にそういった話し方は止めるように伝えても全く聞かない。そこでどうしたらいいのか?といった話をし始めた。

・・・。

ん?私は前回、どう生きたいかをあなたに尋ねたよね?それは考えてみたんだろうか。すると受講生は、考えてみたがよくわからなかったと言い、友人の相談を続ける。

こういったケースが無いことはない。事実への直面化からの回避行動であり、問題をすり替えようとしている。見たくないものを見ないための無意識的な工夫。ずーっと彼はこうやって生きていたのだろう。事実を避け、自分の課題からは目をそらす。だから、ずっと変わらない

こういった場合、私はとても悲しくなる。人生を変えたいと願い受講しているはずなのに、このセミナーまで「こんなに頑張ってきた!」の証拠集めのための受講になっては、私が受講生の人生に登場した意味がない。

そうね、あなたは友人のことがとても気になるのね。なぜにもそんなに友人のことが気になるんだろう?

友人のことが気になるのは自然なことだと受講生は答えたが、自分のことを差し置いてまで気になるっていうのは自然なんだろうか。との私の質問には受講生はしばらくフリーズしていた。

そして彼は少しばかり友情について語り、自分はそれが普通だと思って生きてきたとは言ったが、周りの受講生の様子を見渡して「俺が変なのか?」とつぶやいた。

この受講生に少しだけ気づきの光が見えた
友人関係が問題なのではなく、前回の講座の宿題、それも大切な問いを無視して、自分のことではなく他者のことを話題にしている違和感というか、変さを本人が気づくことが大切だからこそ、今回の講座ではここまでで十分。この受講生はもう少し時間がかかる。


全ては気づきから始まる。

気づく力がある人は、小さなことからも気づきを得てどんどん変化していく。例えば、どんな崖っぷちに立っていてもそこが崖だと気づかなければ、どれほど自分が危険な状況にいるかも理解できないし、恐れも感じない。気づいてないから崖っぷちから遠くへ避難することもしない。

本人が気づいかなければ、どんな言葉も響かない。気づきを得るためには事実に直面化するしかない直面化した事実が自分が思っていた事実とは違うことがハッキリすれば次の手が打てる。先ほどの崖っぷちの事例で言えば、崖っぷちから遠ざかるにはどうしたらいいかを考え、対処することができる。気づかなければいつまでも崖っぷちに居続けることになる。

人が変わるには相当のエネルギーを要する。そのエネルギーもまた、事実へ直面化した際に得ることが多い。

この受講生が成熟の階段を上るのには時間がかかるだろう。何かをきっかけに気づきの連鎖が起きれば、一気に進む可能性もある。ただ時間が経過するほど、そのきっかけはそれこそ、もう目をそらすことができないような大きなトラブルであることが多い。

彼には厳しく言ってくれる実父はもう居ない。周りの人は彼との衝突を避けて事実を口にしない。耳障りの良い言葉ばかりでは一生、気づけない。いや、事実を伝えたとしても彼は受け取れないだろう。それは彼にとって崖っぷちに居続けることと等しい。

今の彼にとって最も大切なことは受講し続け、触れ続けることだ。気づきのアンテナのサビは受講のたびに落ちてくる。気づけるようになる。そこからやっと彼の人生は始まる。