気まずさ


感情の取り扱い事例
自分の居場所がない感覚

受講生は、自宅に居たくないと言い出した。
普段、家にいないのでどうも…。
話を聞くと、妻や子どもが特別、何かをしているわけではなさそう。

気まずい?何となく違和感があると言うか、居心地が悪いんでしょ?と尋ねると、

そう!気まずいんです‼︎と大きく首を縦に振った。

気まずさは相手との対立ではない。だからってぴったりくるわけじゃない。「ズレ」に近い。「違い」とまではいかない「ズレ」。受講生は新型コロナの影響から外出自粛で自宅での仕事になり、家族とのズレを強く感じているようだった。

例えば初めての場ではズレを感じることは珍しくない。だから緊張もするし、その後調整しフィットさせていくのだけれど、今回は慣れ親しんでいるはずの家庭内でズレが起こっている。そもそもフィットする相手だったから結婚したはずだし、今までだって休みの日や朝晩は家に居たけど気まずさなんて感じていなかった。

さて、このズレをどう解釈するかがポイントなんだけど「家族と少しズレがあって気まずい」にはどんな認知があるのでしょう。一緒に見てみましょう。

あなたの「こうあるべき」がその気まずさを呼んでいるとしたら、どうあるべきだと思っている?

家庭は落ち着く場所であるべきだ。
家族内では心ひとつであるべき。

かな…。

「なぜなら、私は〜だから」と続けてみて!

なぜなら、私は仲間外れになりたくないから。えっ???「仲間外れになりたくないから」と口にした受講生が言葉を発すると同時に驚いていた。

家族から仲間外れってあるの?と問い直すと、「そんなことはない。頭ではわかっているのですが…」に続けて、自分が育った家族で父親が浮いていたことを話してくれた。「酒を飲んで帰宅した父親は仕事をしている自分や稼いできている自分を認めるよう家族に迫っていました。今、父の年齢に近くなってから振り返ると、父は寂しかったのかもしれません。いつも家に居ない父なのに、たまに居るとオレオレの態度であることに、母をはじめ、私自身も鬱陶しがっていたように思います。そんな父と自分をどこかで重ねていたのかもしれません。鬱陶しがられてないか?と。」

原因は「ズレ」を「仲間外れ」と誤認知していて、父親との同一化にあったのかもしれない。

自信がないのね。夫として、父として、自分として。
他人が自分をどう評価するのかが気になる。それが家族であっても。だとすると、一人でいる時にしかほっとできない。会社勤めしていれば営業職の受講生は一人の時間が作りやすかったが、外出自粛になったことでいつも家族と一緒にいることになり、気まずさを覚えた。誰かがいればそれが家族であっても「今の自分で大丈夫だろうか」とどこか緊張感を覚える。自分が感じている気まずさに目的があるとしたら、それは「家ではダメだ。落ち着けない。」と自分を外に駆り立てひとりになるため。
今回の課題は家庭での気まずさではなく、一人の時間だけが唯一落ち着ける時間という自分にこれで良いんだろうか⁈と気まずさを覚えているのよね。そうなら、まずは自分としっかりと付き合うことを学ぶ必要があるわね。

平日もずっと自宅にいることによって、普段より家庭での役割がボリュームを増し、父や夫としての時間が長くなった。自分の父や夫の役割の真価を問われているようで、受講生がもっていた「そもそもの不安」が頭を持ち上げてきたのかもしれない。だったら良いことだ。不安をごまかして生きるより、不安に直面化し、不安を取り扱えるようになった方がいい。しっかり向き合っていきましょう!

覚悟を決めたような顔つきで私の話を聞いていた受講生は次の講座の時に妻に気まずさについて話をしたと後日談を語ってくれた。
妻は夫の話にびっくりしていたと言う。受講生だけが危ぶんでいたことがはっきりしたことで、より一層自分の内の問題であることがわかったと言っていた。

家庭で過ごす時間が長くなったことで、通勤や仕事でごまかせていた本質的な課題に向き合わなければならなくなった受講生は少なくない。「本質に向き合うこと」に限定すれば、外出自粛生活で得た感覚はどんな感情にしろ、これからのあなたの人生を豊かにする大きなヒントになるだろう。