メタ認知とは


感情の取り扱い事例
【自分を深く知ること】

自分を深く理解することは容易ではない
自分が自分をよくよく理解しているようで、時間が経って自分の本当の思いを知ることはよくあることだ。
それに、今の自分が数年前の自分と同じとは限らない。立場も違えば年齢も違う。置かれた状況も違ってくる。数年前と言わず1ヶ月前の自分とさえ同じとは限らない。

自分がハンドリングする自分を自分が理解していなければうまくハンドリングすることはできない

今回の受講生に出された宿題は自分のなかの「ねばならない」を書き出すこと。受講生は「ねばならない」の多さに改めて驚いていたと言う。そして自分の思考の多くを占める「〜ねばならない」を追求することで「たかが」という言葉が出てきたことを報告してくれた。

たくさんの「〜ねばならない」星人がいることにびっくりしました。そして、ねばらない星人のあと、「たかが」星人が現れたのです。「たかがその程度」「たかが数店舗」「たかがそんな仕事」…。「たかが」星人が現れると、やる気がどんどんなくなっていきます」と報告してくれた。

よく気づけた!
あなたがその声に気づくまでは無自覚に「たかがこの程度」と耳元で言われ続けている状態。そんな自己内対話を繰り返していたらそりゃ、やる気も削がれるわ。

受講生にはパターンがあった。
優秀な経営者でもある受講生は、新しいプロジェクトに手をつけて、プロジェクトがうまくいきそうになると手を抜きたくなり、手を抜いたからプロジェクトがいよいよダメになりそうになり追い詰められた状態になると、スイッチが入ったように俄然本領を発揮して波に乗せる。が、それも一時するとまた手を抜いてしまう。

いたずらにパターンを繰り返していた
このパターンには「しなければならない星人」と「たかが星人」がその都度出没している。

新しいプロジェクトに手をつけては<しなければならない星人現る>プロジェクトがうまくいきそうになると<たかが星人現る>手を抜きたくなり、手を抜いたからプロジェクトがいよいよダメになりそうになったり追い詰められた状態になると<しなければならない星人現る>、スイッチが入ったように俄然本領を発揮して波に乗せる。が、それも一時すると<たかが星人現る>また手を抜いてしまう。

といった具合だ。

なぜ「しなければならない」と「たかが」が交互に出てくるのか。そこには根源的なふたつの思考の癖があると感じている。

まず、受講生は「しなければならない」shouldな生き方をしてきたはずだ。とてもきつい言い方になるが、自分のwantをお座なりにしてきた。周りの期待に応えることで自分の存在を感じてきたのかもしれないし、自分のwantを表明して周りと揉めることを避けていたのかもしれない。周りの期待に応える生き方も悪くはない。しかし、いづれ自分のwantが頭をもたげてくる。自分を裏切り続けるとどこかで歪みが出る

その歪みが「たかが」だろう。
「しなければならない」shouldで頑張ってきたが、そもそもやりたいこととは違うことをやってきているので達成してしまって事実に直面化するのはまずい。どんな事実に直面化することを恐れているかは見立てるしかないが、例えば達成してしまって「自分は心からこれを達成したいわけじゃなかった」といった事実に直面化したらこれまでの努力が無駄に思えるかもしれないし、「本当はもっと凄いことをやれるはずなのに…」といった自分への期待感と現実とのギャップがハッキリすると事実を受け入れなければならなくなるなどが考えられる。もしかしたら「ねばならない」と頑張ってきて少しほっとできる状態になっても「ねばならない」が発動するので、「たかが」を出して少し休みたいだけかもしれない。さらに別の視点から見ると「ねばならない」を自分で選んだはずなのに、周りから強制されているように感じていて「〜ねばならないをやってきたが、〜ねばならないじゃ、やっぱりダメじゃん!」と証明したいのかもしれない。
しかし、本当の目的がどこにあるかはわからない。

ただ、達成を無意識的に避けていることだけは事実だ。
そこには達成するとデメリットがあるか、未達成の方がメリットがあるかだ。

人は意識的に何かをやっているようで、無意識に作用されていることは多い。例えば歩くことだって意識的には行っていない。下手すると運転だってそうだ。私は考えに夢中になって、車でどうやって家まで帰ってきたかその過程を思い出せないことがまぁまぁある。

自分で自分を深く学ぶこと
敵を攻略するには敵を知る必要がある。自分は決して敵ではないが、だらしない自分やすぐに諦める自分が自分の人生を邪魔していると感じている人は少なくないと思う。自分を最大に発揮するために自分を攻略しなければならない場面は多い。自分をうまく調子に乗せて最大に力を発揮させるためには自分を深く知る必要がある。

人は自分を知っているつもりでいる
長年学んでいただいている受講生は無意識的にやっていたことを今回の宿題で意識できた。だが、この気づきはまだ序の口だと私は感じている。これからも自分を深く学ぶ良い機会は度々おとづれるはずだ。それはきっとワクワクする興味深い時間になるだろう。
自分の核により迫った未来の受講生が楽しみでならない。