感情の取り扱い事例
【母親と上手に関わることができない】
成功してもなお、努力を辞めることができない。
仕事でもプライベートでも努力の手を緩めることができない受講生は疲れているように観えた。
どういうことならば満足なさるのでしょうか?
誰に認めてもらったらいいんですか?
私の質問にしばらく考え、「母だと思います」と答えた受講生は「でもきっと認めない」と続けた。その根拠を尋ねると「母は自分中心の人だから…。都合の良い時だけ」と苦笑いしながらどこを見るでもなく口にした。
それらを含んで全てを受け入れている娘ですね。
「仕方ないですもん。母は私が何をしても満足しないと思います。」
簡単に言うと、母親に上手に関わることができていないということですね。
受講生にはふたつの宿題を出した。
ひとつは母に言いたい本当の思いを書き出してもらうこと。
我慢や努力をやめれない人は、我慢や努力をしないと自分がなくなるように感じている。つまり、我慢や努力なしに自分の存在価値を感じられない。それは自己尊重感が低いことの現れで、親から丁寧なメッセージを受けていない可能性があり、そのことによって自分の意思が活性されていない状態にある。
もうひとつの宿題は「恋」
自己尊重感を上げるには「恋」が必要で、それは何もリアルな恋愛である必要はない。「恋心」と書いたほうが近いかもしれない。アイドルへのファン感情でも好きなコトでも好きな物でも構わない。自分の気持ちが動くものに対して関心を持ちエネルギーを使うことは「意思」を使うこととなり脳に快楽物質が出て恋と同じような効果がある。
つまり、恋は代替案。
受講生は一生懸命に会社や家族に頑張り、犠牲に近いような愛情を注ぐことによって自分を満足させようとしている。しかし、受講生のその愛情の注ぎ方は健全なものではないので家族や社員は感じ取る。
こういった無意識のカラクリに気づくのはとても恐ろしいもの。
「自分には価値がない」とどこかで思っているので、「ダメ」を無くす努力をすることで満足を得ようとするが、うまくいかない。うまくいかないことで自己尊重感を損なうということが起こり、受講生は無意識的に自己確認している。言うなれば自己確認ゲームだ。社員や家族はそういうゲームに利用されていることに無自覚に気づいているから「あんたの道具になんかなるものか!」と離れていく。離れていくことで受講生はまた自己確認できる。
繰り返されるパターンを考えてごらん。
失敗することを追求している事実に気づくことができれば、辛いが良い変化になるだろう。「失敗すること」が自己確認になっていると仮定すると、「そらみろ!毒親よ。あんたの言うようになってやったぞ!あなたたちがこう育てたんだよ!」といった自分の親に対する仕返しかもしれないね。