感情の取り扱い事例
言葉を丁寧に取り扱うとは
アメリカ映画で見る恋愛関係での「I love you」は日本の「愛してる」とは随分違う印象を受ける。英語圏の「I love you」はかなり重い取り扱いだ。想いが100パーセントじゃないと決して言葉にしないのが「I love you」なイメージ。
その「I love you」並みに、100%な思いがなければ言葉にしてはならないと思っている人は少なくない。真面目というか律儀というか。軽い言葉ばかりを使っている人を見て反面教師にしたのか、言動一致を妙に意識する機会があったのか、もしくはそう感じ入った機会があったのかもしれない。
当然、「言ってること」と「やっていること」が違う人とは信頼関係は築けない。仮に行動を言葉通りに装えたとしても、心根は伝わるものだ。
コミュニケーションはよく出来ていて、いずれ本当の思いは伝わる。例えば、仕事が早い人がいる。仕事が早いことは決して悪いことではないが、その心根が会社の目標や周りのことを考えて早く仕事をしているのか、自分から早く仕事を手離れさせたくてやっているのかはいずれわかる。必ずはっきりするときがくるものだ。
ただ、言葉にすることによって気付きを得たり、強化される思いがあるのも事実だ。
最近、中間管理職へ昇格し部下が出来た受講生は自分の気持ちに戸惑っていた。というのも上司という役割に慣れていないせいか、部下を可愛がる、部下に教えるというよりライバル心がちょくちょく湧く。ライバル心というと聞こえはいいが、ジェラシーに近い。プライベートで呑んだり、会話したりしている時は全くそういった気持ちは湧いてこないのに、仕事になるとムクムクとジェラシーが湧く。そんな自分の気持ちに疑問を感じていた。
同じチームなのに?!
受講生が疑問視する気持ちは、役割はすでに変わっているのに気持ちがまだまだ変わりきれず昔のままである時に起こる。
あなたの戦いの場は社内ではない。社内で、チームで一丸となって臨まなければいけないのはライバル会社のはずだ。更に言えば、仕事は世の中を変える道具だとすれば、部下や上司、同僚に気を回している暇はないはずだ。
なので、受講生には宿題を出した。部下に「私たちは仲間じゃないか!」と言ってみる。その時のあなたの気持ちをよく観察してきて!と。
しかし、宿題を出した私が「私たちは仲間じゃないか!」と言うくらいでどうして?と驚くほどあからさまにひるむ受講生。なぜ?
すると、受講生は想いが100パーセントじゃないのに口にしたくないと言う。その後続けて、「昔、モテる先輩が女性に対して「可愛い」と口にすると喜ばれる。そう思ってなくても口にすると可愛く思えてくる」といった思ってないことを口にする効用を話してくれた記憶があるらしく、そういうことに嫌悪感を感じているとのことだった。
100%の気持ち…じゃあ、どの程度の想いなら言葉にしていいのだろう?100%とは何と比べて図っているのだろうか。そもそも、あなたにとって仕事の目的は一体、何なのだろう?働く目的は?
「お金を稼ぐこと」「成功すること」と受講生は言った。確かにそうだ。お金や成功は大切だ。ボランティアではないし、お金を稼げると言うのは世の中の役に立っている証しでもある。ただ、それは結果だ。目的ではない。自分の子どもから「お父さんはなぜ働いてるの?」と尋ねられたらあなたは何と答えるのだろうか?堂々と「お金を稼ぐこと」と言うのだろうか?
1日の多くの時間を費やす仕事で「どういった働き方をしたいか?」「どういう時間の使い方をしたいか」は、あなたは「どう生きたいか」の一部を担う。つまり、1日の3分の1以上の時間を費やしている仕事でどう働きたいか?と考えるのはどう生きたいか?にかなり近いのだ。
どう働きたいか?を考えるとき、人によっては時間や休み、職種やギャランティなどを考えるが、それは働く条件であって「どういった時間の過ごし方をしたいか」ではない。
どんな仕事をしていても惚れ惚れする方がいれば、大きく稼いでいても何だかなぁ…という人もいる。条件だけで仕事を見積もるのはあまりに表面的すぎる。
じゃぁ、宿題は変更。
あなたはどんな働き方をしたいの?
つまり、どう生きたいのか?
あなたはどう在りたいか?を考えてみて!
2週間後、宿題をしてきた受講生は…
次回につづく。
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