ずるい生き方、潔い生き方


感情の取り扱い事例
誇れる自分を選択する

「今年はよく泣いてたよね」と私が声をかけるほど受講生は受講するたびに泣いていた。そんな受講生から「ゆかりさんに聞いて欲しくて」と報告を受けた。

受講生は直属の上司の指示に従ってやった仕事を、さらに上の上司からダメ出しをされた。メールで指摘された際に「私は上司の指示に従っただけだ」と書こうかと一瞬考えたらしいが踏みとどまり、謝罪を入れ、仕事の改善に勤しんだという。受講生は続けて「大したことないじゃんと考えた」と話してくれた。

あぁ…うれしい!そんなことができるようになったんだ。以前の受講生にしたら大したことだったはずだ。1年前の受講生なら、私が間違った訳ではありません!と主張しなければ耐えれなかっただろう。しかし、そんなことどーでも良くなったということには、ふたつの変化がある。

ひとつは目的にフォーカスできるようになったということ。人生の目的を尋ねられたら簡単には答えられないが、仕事には明確な目的がある。仕事場は同じ目標に向かう仲間との場で、目的が最優先であって、誰が間違ったとか自分がどう思われるかとか関係ない。仮に仕事場において自分の感情にばかりベクトルが向いているなら、その場の目的を理解していないといった点で優秀さに欠けてしまう。
ふたつ目は、正誤で自分を測る必要がなくなったということ。己が脆弱な人ほど、何かで自分の価値を確認したがる。例えば、人が自分をどう扱うかや約束を守るかどうかで測ってみたりする。正直、職場ではそういう人は面倒臭い。仕事の目的に向かって頑張っているのに上記同様、自分のことばかりにベクトルが向いているからだ。

今回、受講生は誰のせいにもせず、自分で被った。その程度のことなら、私が悪いで良いじゃん。だから何だというのだ。
仮に上の上司がこのことで、受講生のことを仕事ができないと誤解したとしても、いづれ本当のことは明らかになるものだ。間違いをいちいち否定しなかった潔い受講生に誰もが一目置くだろう
逆に、いちいち否定したとしよう。私じゃなく、直属の上司の指示によるものだと伝えていたらどうだろう。直属の上司は自分のミスを認めるだろう。しかし、受講生のことを言わなかった時のように一目おくことはない。それどころか、受講生を自分の保身をとても大切にする、残念な人に認定するだろう。今後、大切な仕事を残念な人と一緒にしたいと思うだろうか。少なくとも私は思わない。

受講生の話を聞いていて会社の忘年会に参加したくない人たちが多い傾向にあるというニュースを思い出した。お酌をしないといけない、気を使わないといけない、大して美味しくないものを食べて、美味しくないお酒を気遣いしながら飲むなんて時間の無駄だと。
気持ちはわからないでもない。別に若い人に限らず、幾つになってもそういう場はあるものだ。行きたくなくても行かなければならない場や時間の無駄だと感じる場は誰にだってあると思う。誰にだってある場だから、その場をどう過ごすかは人を分ける

本当に意味がない慣例行事としての場なら、目的を明確にして堂々と辞める方向に会社を向かわせたらいい。しかし、仕事ができてない人にそもそもそんな発言権はない。それに、そういう場を企画している人がいる。みんなの懐事情を考え、一生懸命にお店を探し、この料理ならいいかな⁈この雰囲気だったらどうかな⁈と考えて予約してくれている人がいて、会社にも寄るかもしれないが、会社も目的を持ってそういった場を用意しているんじゃなかろうか。だったら、お酌ぐらいしてやろうじゃないか。気を使うぐらいやってやる。その程度のことで自分のエネルギーは枯渇しない。自分が居るならその場を良い時間にしてやるぐらいの気概があってもいいんじゃないか。誰かに影響される自分じゃなくて、誰かに良い影響を与える自分を意識してもいいんじゃないか

話は逸れてしまったようだが、決して逸れてない。
今回の受講生は「自分で選ぶ」ということがずっと課題だった。その課題に対して、主体的に自分で選ぶことができるようになったと報告してくれているんだ。自分の責任の境界線をどこに引くかを自分で選び、決断した。その引いた境界線が潔くて良い決断だったと私は思う。間違ったのが受講生だったからって受講生の価値には1ミリたりとも影響しないそれどころか、堂々と自分を発揮していると言っても過言じゃない。人は自分がずるい行為をやっているかどうかを自分でよく理解している。誇れる自分を選択することなしに己が育つとは決して思えない。どんな場であろうと、自分の在り方は自分で決めることができる。なのに、自分の選択を周りの人や何かのせいにしたりする生き方はずるい生き方と言えるのではないか。一方、状況に関わらず自分の在り方を自分で主体的に選ぶ生き方は潔いと言えるのではないか。

よくやった!泣きっぱなしの一年だったのに、年末にそんな嬉しい報告をくれてありがとう。私が泣けるほど心から嬉しい。

受講生の中に張った、この根っこはぐんぐん伸びていくだろう。根が張れば、幹も枝もどんどん育つ。葉も生い茂るはずだ。
受講生はこれからもっともっと育つ。あぁ…成長が楽しみでならない。