満足できない


感情の取り扱い事例
マッチ売りの少女

年の瀬も押し迫った大晦日の夜、小さな少女が一人、寒空の下でマッチを売っていた。マッチが売れなければ父親に叱られるので、すべてを売り切るまでは家には帰れない。しかし、街ゆく人々は、年の瀬の慌ただしさから少女には目もくれず、目の前を通り過ぎていくばかりだった。

皆さんもご存知、アンデルセンのマッチ売りの少女。

夜も更け、少女は少しでも暖まろうと売り物のマッチに火を付ける。マッチの炎と共に、暖かいストーブや七面鳥などのごちそう、クリスマスツリーなどの幻影が一つ一つと現れ、炎が消えると同時に幻影も消えるという不思議な体験をする。

流れ星を見た少女は可愛がってくれた祖母が「流れ星は誰かの命が消えようとしている象徴なのだ」と言ったことを思いだした。次のマッチをすると、その祖母の幻影が現れ、マッチの炎が消えると祖母も消えてしまうことを恐れた少女は、慌てて持っていたマッチ全てに火を付けた。祖母の姿は明るい光に包まれ、少女を優しく抱きしめながら天国へと昇っていった。

辛い中、マッチの光で幻想を見ながら天に召される悲しい少女の物語。

受講生は頭では充分わかっていても心がついていかない状態でいつも「ダメなところ」を常に探しているようだった。

4nessコーピングの基礎講座やマスター講座を何度も繰り返し学んでいる受講生の気づきの感度はどんどん高くなる。些細なことからたくさんの気づきを得ることが可能となり、気づきをヒントに、角度を変えて考えることでさらに深い気づきを得てパワーを増していった

受講生はとても素直な美人さん。その反面、妙に難波節的なところのある魅力的な女性。この受講生には毎日毎日、出来事を反芻する癖があった。それは大切な気づきや新しいやり方を彼女にもたらすこともあったが、それより「もっとうまくやれたんじゃないか?!」「違う方法があったのではないか?」「私がダメなんじゃ?」「だから、みんなとうまくやれないんじゃない?」と自分を責め始め、「もう嫌だ。。。。」と負のループに入ってしまうことを繰り返していた

その時の受講生は、何度も再受講して取り組んでいる基礎講座の5回目のワークだからこその気づきを感じていた。

基礎講座5回目のワーク
【自分の人生にもっと多くの幸せを持ち込むには?】という質問に対して、
・充分に持っている
・充分に幸せだと頭ではわかっているのに納得いってない。
・このことを繰り返している。

【あなたの幸せを妨害しているものは?】という質問に対して、
・他人との比較
・他人からどう思われるのかが気になる。

受講生は頭は現実的なのに、心の中は幻想でいっぱいという相容れないものを抱えていた。

例えば、「職場」の現実は、様々な経験を持ち、いろんな価値観を持った人々の集合だ。受講生にとっての「職場」のあり方とは、互いに協力し高め合い、お客様のために全力で一丸としてやっている場だった。そりゃそれがいい。そんな職場もあるかもしれないが、現実は難しい。皆、違うから。バラバラな生活環境で、経験してきたことも起こっている出来事も違う。受講生が言う「職場」は理想ではあるが、幻想に近い。そんな職場を求めていたら、常に失望しなければならない。

人は基本、プラスマイナス0になるようになっている。例えば、仕事がうまくいけば家庭に不具合を抱えていたり、仕事も自分の家族もうまくいっていても、育った家庭環境が非常に悪かったりなど。ずーっと全部がうまくいっている人などいない。そう見せている人はいるかもしれないが事実は違う。何事にも陰陽があるのだ。こっちがプラスになったら、あっちがマイナスとなることはよくあることで、人の感情を取り扱う仕事をしていたら全てはプラスマイナス0なんだなぁとリアルに感じる。

受講生は職場に限らず家庭や家族、女としてや自分自身、パートナーなどをそれぞれのベストなものと比較していた。仕事の仕方はベストなこの人と比較して、女としてはベストな別の人と比較し、家庭は別のベストな家庭と比較するというカテゴリーごとにカテゴリーのベストな人と自分を比較していた。これではマッチをするたびに幻想を見ているマッチ売りの少女と同じだ幻想が消えてしまわないようにたくさんのマッチを擦っては幻想と比較して「自分がダメなんだ」と自分を責め続けている。受講生が比較している対象が幻想なんだ。

受講生は幻想とリアルとの境目が曖昧だった。いや、幻想だと頭ではわかってはいるが、幻想を捨て事実に生きるということに抵抗しているようだった。幻想を捨てることは成長を止めることと誤認知していたのかもしれない。しかし、何かを得るには何かを捨てなければならない。これが事実だ。何もかもを手に入れることはできないし、バーチャルリアリティと比較していると、今の人生が満点になることはない。

最近になって子供を持つことを真剣に考えるようになっていた40代の受講生は、子どもを産むか諦めるかといった事実に直面化した。これは勇気があるとかいった言葉では片付けられない選択だ。受講生の辛さを考えると私の方が胃腸炎になってしまうほどだ。
年齢制限という言葉が希薄に感じられるこの時代も、肉体にはやはり制限があり、出産となるとその後の子育ても含めて実際、年齢的な制限がある。受講生は、夫婦のあり方に直面化し、愛する夫と別れて子どもを産むか、愛する夫を選んで子どもを諦めるかを選ばなければならない時に来ていた。

今すぐ産んでも高齢での出産であることは間違いない。本当の真実を見ずにやり続けているように感じられた。非現実的な幻想を持つことによって生きていこうとしている。ある種の工夫で、マッチを擦り続けていたんだ

これ以上を夫に望んでも発展性はないだろう。それでもその夫とやっていくとすれば、その夫を受け入れる力を身につけないといけない。その男を夫として選んだのは受講生だ。それが現実なんだ。今できている範囲の中でできることをやるしかない。少しきつくなるかもしれないが、与えられた能力があって、その上で、その能力に見合った中で、精一杯のことをコツコツやるというのがまともな生き方だと私は思う。

しっかり考え、いや考える前からわかっていたことを受け入れ、受講生は自分が選んだ愛する夫を選択した。

上記のことは、がんばれ!と応援する人の方が多いかもしれない。援助の仕方には様々なやり方があるし、賛否両論あるだろう。しかし、私は幻想を応援することをよしとはしない。無責任とさえ感じる。自分が選んだ人生の責任を自ら取っていくことが受講生にとってどれほどの価値になるか。計り知れないと感じている。

4nessコーピングでは事実に直面化することを大切にしている。例えそれが本人に「力がないこと」であったら、「力がない」と本人に伝えるだろう。力がない」ことはその人の価値とは無関係なのだから。事実を受け入れられない方が余程力がないことだ。「力がない」といった事実と直面化することは、一時期その人を落ち込ませ、無気力にさせるかもしれない。しかし、力がないならないなりに自分を活かす道をきっと見つけることができるようになる。事実を見ることなしに未来は描けない。それはまるで今何号目にいるのかを知ることなしに、頂上を目指している登山家と変わりない。そういう状態で人生という高い山は登れない。私にできることは、例え辛い事実であっても事実を見て、その上でどうするか、どうしていくかを自分で選択し、その責任を取っていこうとする受講生を援助していくことだと思っている。

受講生は自分のことを「これじゃ、マッチ売りのおばさんだ!」と笑い飛ばせる強さを身につけていっていた。辛い事実からも逃げようとせず、直面化し、そこから自分の理想を描いて、やれることをひとつひとつ取り組んでいく受講生の魅力はさらに輝きを増すだろう。自分の責任から逃げずに自分で責任を取っていく人が堂々としてないわけがないのだから。