豊かさのスタートライン


感情の取り扱い事例
この仕事、誰だってできる⁈

忙しい!忙しい!!と思っていた仕事が年末に、
「あれ?これってステップを踏むだけの仕事じゃない⁈」
と気づいたんです。

と話し始めたのは頑張り屋さんな受講生。
それはとても嬉しい!!!

「おぉ!良いところに気づけましたね。
じゃぁ、忙しいことにしてないとまずかったと考えたらどう?」
と受講生に尋ねると、

すると、受講生は以下のように答えた。

✔︎忙しい方が考えなくて済む時間が多くなり、
✔︎忙しい方が努力している風
✔︎忙しい方が生活が充実している感じがする

本当かどうか、ひとつひとつ検証してみましょう。

まず、✔︎忙しい方が考えなくて済む
忙しさにかまけていれば、確かに考えなければならない問題を考えなくて済む。それはどうも本当のようだ。躁的自己防衛ね。

次は✔︎忙しい方が努力している風
側から見ていると、ぼーっとしているより忙しくしている方が頑張っている風ではある。「風」と言うのは、成果に紐付いた努力は行動だけとは限らない思考の方が体を動かすより重労働で、かつ傍目には何をしているかわからないものだ。努力している風に見られたいとなれば、忙しくしていた方が有効かもしれない。

最後、✔︎忙しい方が生活が充実している感じがする
確かにそういった感じがするのかもしれないね。少なくとも、「私の生活はこれでいい?充実してますか?」と考える時間は無くなるので、充実しているかどうかに直面化することを避けることはできる

つまり、受講生の回答は正解のよう。
ということは、ステップを踏むだけの仕事なのにさも忙しくしてきた理由は、意地悪な言い方をすると、
努力していて充実した毎日に思いたくて、忙しくしては事実に直面化することを避けていたということになる。

受講生は、人生のあらゆることの特効薬が頑張ることだと感じ、全力で頑張ってやってきたのではないだろうか。もちろん頑張ることは素晴らしいことだし、頑張ってきたから今の受講生の成功がある訳だが、頑張れば全てうまくいく訳ではないし、頑張っても手に入らないものがあるのも事実だ。もしかしたら、手に入らないもの、出来ないことが自分の価値を下げると誤解していたのかもしれない(1)
いや、手に入らないもの、出来ないことに対しても努力し続けなければならないと思い込んでいるのかもしれない(2)
頑張っても出来ないことや手に入らないものがあることを受け入れてしまったら、今まで自分がやってきた頑張りが無駄に感じるというか、努力してきたことが無駄だったなんてバカらしく感じてしまうかもしれない(3)
*(1)できることで自分を図ろうとする己の脆弱性
*(2)努力ができなことの免罪符になると誤解
*(3)生産的な生き方を希望しているのではなく、損や無駄をしたくないといった非生産的な生き方の回避が目的

まぁ、その理由が何だったにしろ受講生は気づけるようになった
「この仕事は誰もがステップを踏めばやれるものなのかもしれない」といった気づきは冷静な判断だと思う。と言ってももちろん、本当は誰でもできる仕事ではないだろう。優秀な受講生だからやれているボリュームやクオリティがあるはずだ。だが、受講生の本来の優秀さから言えば、もっと違う仕事をしていて良いんじゃないかと私はずっと感じていた。ただ、そこに向かって行かなかったのは自分に自信がなかったからだろう。例えば、人とのコミュニケーション力や容姿、もしかしたら自分の能力は努力の賜物で、才能は乏しいと判断していたのかもしれない。妄信的に頑張ることで見ないようにしていた本当の課題は、自信の無さや男性(女性)としての魅力、自分を信頼することだったのではないのだろうか。

この気づきは等身大の自分に直面化する力がついてきている証だ。今の等身大の自分がマイナスだろうと何であろうと何も問題ない。等身大の自分を見れない、受け入れられないことの方が問題で、そういう大人は少なくない。ということからも、自分の事実を受け入れることができる力は相当な力で、受講生に相当な力が付いてきていることがわかる。
等身大の自分を受け入れることができれば現実的な未来を描くことが可能となり、いよいよ自分の人生の舵が自分の手中に入ってきたということで、本来の課題に向かう準備が整ってきているとも言える。

全ては気づくことから始まる。気づくことなしに深まることはない。気づきのアンテナがピカピカなほど人はどんどん気づけて、深めていくことができる。ただ、現代人はこの感覚のアンテナを錆びつかせている人が多いんだ。気づきたくないために
この受講生のアンテナはピカピカになってきた。事実を受け入れる力もついてきている。スタートラインに立ったんだ。これからさらに気づき、さらに深め、さらに豊かになっていく。私は楽しみで仕方ない。