その年齢になってみないとわからないことだらけ


感情の取り扱い事例
【今、何にフォーカスしたいの?】

受講生は、自分の父親との未処理を抱えていた。
「父は本当にわがままで自分勝手で、定年してずいぶん経つのに落ち着かず、本当にどうしたものか…」と質問するでも、愚痴るでもなくつぶやいた。

お父様が変わるにはどうしたらいいのかを聞きたいということでしょうか?
なら、無理です。
お父様ご自身が変わりたいと思ってらっしゃるのならお手伝いはできます。
しかし、周りがあの人に変わって欲しいとどれだけやっても、ご本人がそう思わなければ変わりません。

受講生は「たしかに…」と自分の父が変わらないことを一度は受け入れたが、「やっぱり…このままだと父が亡くなった後、後悔するんじゃないか⁈」と諦め切れなかった。

「諦める」にはネガティブなイメージを持たれる方も多いかもしれない。
しかし「諦める」とは仏教用語で「明らかに事実を観る」といった意味があり、大人の努力の肝になる。今回のケースだと、事実は「本人が変わりたいと望まなければ、周りからどんなにアプローチしても変わらない」だ。

続けて、『諦めるしかないって分かってるんですけど、やられっぱなしなのが、なんか悔しい(笑)』とも受講生は言った。

さて、どうなれば受講生は納得いくのだろうか。
ここではふたつ考えなければならない。

ひとつめは、父がどうなれば自分が納得いくのか考えてみる必要がある。
父が「俺が悪かった!」と謝り、生活を皆が望むスタイルに変更すれば納得いくのだろうか?
本当だろうか。大好きな父が周りに気を使って生きるのがあなたの本当の望みだろうか。そんな生き方を70年ぐらいやってきた父なのに?!

ふたつめは、「やられっぱなしで悔しい」という感情はどういう認知で生まれてきているのか。
父と対等でいたいという思いからなら、それは対等でないと思っていることの証となる。でも、もっと先をゆく人たちから見たら、対等かどうかなんて幼稚なのかもしれないね。上長の人たちを見てると「年齢を重ね、成熟していけば考え方は変わるのが自然だ。なのに父は…」と感じるかもしれないが、自分たちがその年齢になったら別の考えに覆われているかもしれないしね。
よく老年期の課題は体力や気力、残り少ない人生の喪失感との戦いというが、今の私たちには正直ピンとこない。その年齢になってみないとわからないことだらけなんだ。

だからこそ、自分の今にフォーカスして生きるのがベストだし、実際それしかできない。

あなたが今、フォーカスするところは「父を変えたい」でいいの

受講生は黙ったまま首を横に振った。
よーく考えてみましょう。
あなたが本当にフォーカスしたい「今」はいったいなんなのか。