感情の取り扱い事例
指摘を受け入れる人は強い人
受講生は2日寝込んだと言う。
何があったかを静かな声で話し始めてくれた受講生は長年、ひとつの業界で十分な実績を出していた。ただ、その業界も世代が変わってきていて、今までの常識的なことでさえお客様には伝わりにくい状況が起こっていた。なので最近は、自分から伝えるより若者に代弁してもらうことが多かった。
そんな、なかなか伝わらない悩みを大学生の息子に伝えると、「それがお父さんがやってきた結果でしょ。」と返ってきたと言う。
「それは、お父さんが今までやってきたことの結果で、そんなことを言っているから聞いてもらえないんじゃないの?お父さんは正しさばかり。お母さんとの関係も同じじゃないの?!」
なかなか手痛い一撃だ。
手痛いと感じる時は、図星の時が多い。私たちが気をつけなければならないのは耳障りの良い言葉だ。大概、役に立つ意見は耳が痛い。さらに、図星の時ほど人は怒りが湧くものだ。すごい剣幕で怒り出した相手がいたら、図星だったんだなぁと思って良いほどだ。
なのに、数年後に還暦を控える受講生は手厳しい息子と静かに話をしたと言う。
本当にそうだろうか?
どこでそう思うのか?
だったらどうすべきと思うか?
何と力がある受講生だろう。一般的にはこんな時、「お前は学生だからわからない」「働いてないからわからないのだ」などと、大学生の息子の意見を却下することが多いんじゃなかろうか。それどころか、怒りにまみれて怒鳴ってしまう人もいるかもしれない。
素晴らしいと感じる点は2つある。
ひとつは、息子に大人のあるべき姿を見せたことだ。息子は「お父さんがやってきた結果だ」と言ったが、「そんなお父さんに失望した」とは言っていない。自分の言葉を受け入れた父に、がっかりするどころか時間が経つほどに息子さんは深く理解していくんじゃなかろうか。あの時、大学生の自分から耳に痛い話を聞かされたお父さんが真摯に受け入れたことがどれほどすごいことかを。受講生は息子の父への期待を裏切らなかった。父親というあるべき姿で居続けることができた。
ふたつ目はやはり、彼が息子の言葉を「本当にそうかもしれない」と心から真摯に受け止めたことだ。学生のくせに、立場が違うから、本当のところを知らないのに…書きあげたらきりがないほど、その言葉を受け取らない言い訳は出てくる。なのに、寝込んでしまうほど、受講生は真っ向から受け止めた。それが事実かどうかはわからない。しかし、まずは受け入れた。人は辛い事実であるほど見たがらない。受け止められない。しかも、年下の意見であれば尚のことだ。事実を見ないと前には進まないはずなのに。
実は、「この受講生に事実を見せなければ!」と私はこの時の講座に臨んでいた。「彼には見なくちゃいけない事実がある」と思うと気が引き締まる思いだった。だが、そんな必要はなかった。息子の言葉に受講生はすでに事実に直面化していたんだ。だからか、この講座の彼はとても落ち着いていた。これがどれほど大変なことだっただろうと思うと私からは「よく事実に直面化できましたね!」といった労いの言葉しか出なかった。そして、受け止めた受講生を愛おしく感じた。よく頑張った!よくやった!
受講生は強い人だ。自分の中の弱さとか力の無さを乗り越えてきたんだ。それでも、自分には力がないといった絶望を抱えていると、何かにすがって生きていかなければならない。だから、「正しいこと」が「自分を守る」といった同じ尺度で見ているんじゃないのかな?それとこれとは別だよ。
本当に自分の価値は何なのかを発見するのがあなたのこれからの旅。事実に直面化出来る力がある受講生はこの後、自分の生き方を見つめ直し、自分の価値を見出し、学び、深めていくだろう。人の根っこのところを育てるのに4nessコーピングは大きな力になる。せっかくだもの、より豊かに生きていきましょう。